ガラードの説明・紹介

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それであるから、自然科学に向って自然哲学的[#「哲学的」に傍点]要求を有つならば(そして今述べた両者の統一故にこの要素は正当である)、即ち自然科学の内容を直接に――かの認識論と呼ばれる稀釈剤を用いずに――一つの世界観へまで連絡しようとすれば、自然が例えば弁証法的存在である所以が指摘されるのは、偶然でもなく無用でもないだろう。――かくて自然科学それ自身が、その内に二つの対立者を統一しているものなのである。自然自身が弁証法的であるか否かの問題とは独立に、自然科学それ自身が特有に[#「特有に」に傍点]――歴史的科学とは異って――弁証法的なのである。
 重ねて云おう。自然は歴史の否定――対立者――である。そして歴史は又自然の否定である。自然科学は恰も相互に否定する二つの対立者を統一している。之が自然科学に特有な二重性であった。――さてこの二重性の故に、自然科学の階級性(第三の)を検出[#「検出」に傍点]することが困難[#「困難」に傍点]となり、之を信用[#「信用」に傍点]することも亦困難[#「困難」に傍点]となって来るのである。何となれば、茲には二重性のために、表面の裏には常に裏面があったのだから。
 併し、この二重性から出て来る結果をもっと立ち入って分析する必要がある。
自然は第一に主観からの脱却を要求とする概念であるだろう。事物が何かの意味で主観を脱却する程度に応じて事物は自然的となると考えられる。