「ヨーロッパの個人主義」の終わりの方から再び抜粋。

観念や思想がいかように精緻に理論化されていても、生活がそれに随伴していかなければ、観念や思想は生きた力にはならない・・・

思想を実践するとは、みずからの生活の場において、矛盾を引き受けることであって、矛盾をなくしてしまうことではない・・・

話したって絶対にわかりあえない二つの精神の激突からしか「対話」は生まれようがなく・・・

信じる力があるからこそ、信じまいとする意志が可能となる。懐疑の反対は信仰ではなく、むしろ軽信である。疑ってばかりいてなにひとつ行動ができないのは、疑っているのではなく、はじめから信ずる力をもたないから、何でも信じ、何でもゆるせるふりができるのだ・・・

ところでこの本の前に斎藤正二著「やまとだましいの文化史」を読んだ。

やまとだましい・・・の内容はさておき、この2冊の本には共通項があった。

それは私のバイブル中根千枝女史の「タテ社会の人間関係」からの引用抜粋があること。

読んでいて、「タテ社会・・・」と随分かぶる内容になってきたなと思っていたら、案の定引用されていた。

あらためて中根千枝先生の研究と著作の、影響力の大きさに感嘆した。

そしてつながりだ絆だと笑顔でバカを叫ぶ我々の社会は、何も学べていないのだなということを痛感した。