あなたはなぜ宅練ばかりで、スタジオへ行ったりクラスにでたりしないのか?とたまにきかれる。この質問はたぶん、「あなたはどこに所属しているのか」という意味だと推測している。

クンダリ-ニヨガは技術的にそんなに難しいもんではない。簡単な動作の繰り返しの中で、自分の中の変化をつかむ。その方向性を知ることで、このヨガの指し示すものの意味を目指す。私はそんなもんだと思う。一人でやろうが、人とやろうが差などない。フォームのくるいはあるかもしれないけど、それとて意味を理解していくなかでどうすればより効果的であるかを考えれば、自ずと答えは見える。

練習会を主催している先達はいることはいる。以前何回か行ったことはあるが、正直技術的に納得がいかなかったのでやめた。また彼は自分で○×協会なるもんをつくり、KRIの日本人メンバーを強制的に入会させている。よっぽど親分になりたいらしい。しょーもない。全員がKRIという国際組織のメンバーなのだからそれ以上組織はいらないはずだ。組織の中に組織をつくる。馬鹿だ。自分のホームページにメンバーの本名をさらけだして、自分の名前は隠している。そんなことが嬉しいのか?なんら具体的な行動力もない、電脳空間でのマスターベーション。

中根千枝という学者の著作に「タテ社会の人間関係」という本がある。いわゆる日本論の古典。場を共有する枠の中の序列意識。枠の中へのエモーショナルな全面的参加。要するに「個人」という単位を全く無視した集団主義。日本人とはそういう集団だと書いてある。と思う。

私はヨガはより個人を強くするためにあると思う。集団に埋没するためではない。これからも独りで行く。私が他人に期待することはひとつ。邪魔をするな。