「韓国併合」100年を釜山で迎えて考えたこと | katzmakのブログ

「韓国併合」100年を釜山で迎えて考えたこと

知人から依頼を受けてエッセイを書いてみましたので、ここにも載せておきます。


「韓国併合」100年を釜山で迎えて考えたこと


 私は政治学領域の日本政治史を研究する者として、1920年代の無産運動が日本政治にいかなる影響を与えたかを追求してきました。大学院時代に加藤勘十のことを研究していましたので、中西伊之助という人物のことは、1937年に加藤を委員長として結成された日本無産党の主要メンバーとして名前ぐらいは知っていました。


中西伊之助は日本交通労働組合創立時(1919年)の理事長として東京市電争議を指導したことで知られ、戦後は衆議院議員もつとめました。彼はまた1922年に日本で初めて朝鮮植民地支配を批判的に描いた長編小説『赭土を芽ぐむもの』で文壇に鮮烈なデビューをはたした小説家としても著名です。創作と闘いを結びつけて生きた人でした。


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   (中西伊之助肖像)


 8年ほど前に私はやっと『赭土に芽ぐむもの』を読むことができました。この小説は、植民地朝鮮における日本人たちの道義に反した行動ぶりを赤裸々に描きつつ、民族の差異の狭間で苦しんだ彼自身の苦悩に正面から向き合った作品です。小説の面白さに惹かれるにつれ、植民地宗主国時代の日本政治を研究していながら、植民地に目配りしなかった自分の歴史認識の脆弱さに気づかされました。私が朝鮮近現代史や日朝関係史を学び始めたきっかけです。


 今年は日本が朝鮮に「韓国併合条約」を強制した1910年から100年目にあたりますが、私は2月から9月まで、韓国・釜山の東亜大学校で勉強する機会を得ました。


 東亜大学では民族運動史研究者として著名な洪淳權教授のご指導の下で韓国近現代史の基礎を学びました。洪先生は近年は植民地時代の日本人社会についても研究されています。また、時間の許す限り、植民地支配や抗日民族運動にまつわる史跡地も見て回りました。強制併合100年をテーマにした学術大会にもできるだけ出席し、韓国語で日本政治史の研究動向について発表させていただく機会も何度かいただきました。


 日本は急速な近代化の過程で東アジアの諸地域に植民地支配と戦争による甚大な被害をもたらした加害国=震源地ですが、そのことが私たちのなかに充分に内面化されているとは言い難いでしょう。いや、全く不充分です。一方で、支配を受けた側の地域では数多くの史跡地が残され、支配と反抗をめぐる歴史の記憶が絶えず再生産され、大切にされています。私たちは近隣諸国との相互理解を深めようとする立場に立つならば、この歴史認識の非対称性をしっかり認識しておく必要があると思います。


 私自身、微力ではありますが、中西伊之助の生き方に学びつつ、一国史的な限界を乗り越え、東アジアの脈絡のなかで日本政治史や労働運動史を少しずつ見直していく作業に励まなければと考えています。そのためには、近年の韓国における研究成果も吸収しなければなりません。かなり回り道になりそうですが、韓国のアナキズム運動史研究の成果を翻訳する作業を始めました。


以上


『労働総研ニュース』第248号 2010年11月


(改行位置、語句など、一部修正してあります)