去年の12月5日に母が亡くなり、あれよあれよといううちに半年経った。

 

亡くなって葬儀を終えるまでは葬儀屋さんの誘導の元、へえこんな事も

 

するのかとなんだか第3者的に動いていた感じがします。

 

葬儀が終わって各種手続きも終わり、ゴールデンウィーク前に墓に

 

名前が刻まれた。そして、今日やっと骨を墓に収めるに至った。

 

葬儀の際には余程答えたのか全てをおいらに任せて言いたい事だけ口を

 

はさんでいた親父殿だったが、納骨式ともなると気が引き締まったのか、

 

数日前から急に指揮を取り出した。事前に決めていた事と異なる動きを

 

して多少混乱した。お経をあげてもらうのも親父殿が長時間が無理

 

だからという理由で、お墓の前だけにしたはずが、予定時間より2時間も

 

前に墓前に乗り込まされた。墓を色々設営する為らしい。

 

おいらは子供と車2台を出して総勢8名をお寺に運ばなければいけないのに

 

何をするんだと思った。そして今日はいつになく暑く体調が心配だった。

 

だが行くと聞かないので連れて行った。黒服の上着は暑いからやめなと

 

言ったが、しょうがないじゃんと言って脱がなかったが、暑いと言って

 

流石に脱いだ。絶対にいう事を聞かない爺様だ(笑)

 

それからお墓の設営の簡単な手伝いをして、暑さ対策をして置いて帰った。

 

予定よりも早くに極極身内の親戚が到着していて、予想以上にバタバタ

 

していた。皆、予定時間より早く動くのは知っていたが、おいらの予想を

 

上回る早さで結局後手になった。

 

そして、やはり親父殿が心配だったので早めに出発することにした。

 

当然、お寺に早く着き、お寺さんのお経も早くなり予定時間は1時間

 

繰り上がっていた(笑)

 

お寺さんでは若いお坊さんによる奇麗な声でのお経があげられ、

 

母の骨も8人で少しずつ墓に入れられた後に、おいらが最後一気に入れた。

 

焼き場から預かってきた袋と木箱、そして白い布袋全てお寺さんが

 

引き取って下さった。無事に納骨できてこの後は会食となる。

 

お寺さんにはお布施とお膳代を渡し、家族だけで会食場へ向かった。

 

暑いので皆結構なお年で心配だったが、ロビーで涼んでもらって

 

予定時間より少し早く食事をする事が出来た。

 

葬儀費用の時は一切関わらなかった親父殿が、頭を働かせて、お布施と

 

食事代を出してくれた。引菓子しか結局出さなかったのはおいらとなる。

 

ま、いっか。

 

こうして全ての工程を終えて帰宅する。無事に済んでよかった。

 

何か、母が今日は大変だったねと言いながらお墓から一緒に帰ってきて

 

いる気がするのは家族みんなの冗談交じりの感覚だった。

 

次は俺だと豪語する親父殿だが、こう言うとまだまだの気がする。

 

次の儀式は新盆だな。後は、もう思い出して供養する感じだと思う。

 

凄く暑くて何か記憶に残る日だった。