2011年3月11日14時46分。今から13年前で、干支を一回りした。
震災はこの後も多く続き、1.1という能登半島の悲劇が起きた。
能登半島では、東日本大震災の津波に気を付けるという記憶を基に
多くの人が津波を逃れるように避難したと思う。だが、地震その
ものが連続して起こったために、古き良き時代の建物が倒壊し、
多くの方が亡くなった。阪神淡路大震災では高速道路が倒壊し、
火災が多く発生して多くの方が亡くなった。
地震に対して注意をしているものの、実際に起こると対処の仕方が
それぞれ変わってしまう。結局地震そのものに対して無力であると
悟らざろう得ない。それでも最低限の防災をして被災した人を教訓に
新しい生活を始めなくてはいけない。今後は、被災した人が次の
生活に早めに移れるように策を講じなければいいけないと思う。
被災した人をいち早く別の生活に慣れるように心のケアと共に
進めるべきだ。残念だが、被災の大きな場所はどんなに復興しようと
前と同じではない。何万人という被災者を心が折れた後に
新たな生きる楽しみを見つけ出し、次の世代に伝えないと、
災害にあった人の数が増えると全部救えなくなる。日本何処でも
災害が起こりうる状態で、災害にあった人は残念だったねで
終わらせてはいけない。同じ職業を別の場所でも違う仕事を
被災した地元で行うのも本人の自由だが、それを後ろから支えて
欲しい。心さえ元気になれば、何とか生きていけるから。