今はサブスクとか言って曲を買わずに流しっぱなしで聞くのが
流行っているようだが、おいらの一番楽しかった時代はCDを
買ってきて自分の好きな曲だけを集めてカセットにダビング
するのが主流だった。
高校時代まではあまり音楽そのものを聞かなかったが、卒業と
同時に自分という人物づくりに音楽はこういうのを聞こうと
色々聞きまくった。
B’ZやZARD、徳永英明、福山雅治、CHAGE&ASKAなど流行物
から今でも聞いている物など沢山聞いた。
今でもコンサートツアーに参加している徳永英明さんは、CDも
揃っている。
ZARDも活動が停止するまでは買っていた。B’Zは地元に戻って
実際の生活をしている中でなんか違うと思い、途中でフェイド
アウト。それ以外は今でもたまに聞いている。
その中で福山雅治さん程曲調が変わってしまったものはないと思う。
おいらの一番聞いていた時期は恋愛ものの曲だが、なんかギラギラ
した感じだった。その曲を聴いていると、今でもその頃の生活して
いた環境と感情が思い出される。不思議な感覚だ。
桜坂あたりからギラギラ感が無くなって何かが違う感じがした。
しかし、順調に流行り曲を出してTVでもラジオでもずっと出ていた。
だから聞いてはいたが、CDを買いたいと思う曲がない。失礼だと
思うが、どうしても一度聞いてみてもその曲と時間が一緒に
包まれない。何だろう、壮大な世界観で歌っているせいか、自分の
今の生活の喜怒哀楽に当てはまらなくなった。
でも昔の曲が好きで今でも欠かさず聞いている。だから悪いんだけど
紅白に出ても へえ としか思わない。歌い方が熱さを失ったような
淡々と歌っている感じが何かピンと来ない。でも嫌いなわけではない。
徳永さんは歌の感じはやはり失恋とかそういうテーマの曲ではなくなった
のだが、今の生活の喜怒哀楽に思い切り当てはまる。何より、デビュー
曲を今でも当時と同じか、技術的にはそれ以上の歌唱でいつでも
涙が溢れる感じがする。徳永さん自身がモヤモヤ病で歌えなくなる危機を
乗り越え、何度も苦しんだ様子も感じているので、その時に生み出された
曲が、世界観を歌っていても共感できるというのが一番だろうか。
毎年、コンサートに行くとその時々の記憶が残る。声が出なくて苦しそうに
歌っている姿や本来の声が出ない状態を経て、かつての輝きにも劣らない
声量と技術を目の当たりにして生きているという実感が沸く。
福山雅治さんをディスってはいない。今の曲ではあまり感じないが、
初期の好きな曲を聴くと当時の思い出と、生活スタイルが思い出される。
バブルと言われながらおいらたちはそんなに稼ぎもなく、周りで盛り
上がっているが実感がない。おいらはただでさえ、田舎から出てきて
いるので、家賃7万のアパートに住んでいる。収入のほとんどが生活費に
消えていき、同僚は彼女がいて車でドライブに行っているが、おいらは
免許もない。このままずっとこんな生活が続くのかとか、色々悩みが
出ていた時代。周りがずっと同じ時間を過ごして楽しい時間になると
思っていたが、少しずつ変わっていく周りの様子に心が折れかけていた
時代。そういう思い出が、主に福山雅治さんの曲に封じ込められている。
その後に、同じ曲でも秋田編が少し重なっている。同じ曲でも気分で
出て来る思い出が変わるのも面白いものだ。
あの時、今の人生に切り替えるきっかけが入っているはずだが、あのまま
切り替えなかった人生はどうなっていたかというパラレルワールドも
気になる。今の人生は良かったとも思っているが、リアルRPGのように
何度か違う世界も見てみたいなあとは思う。失敗したら今の世界に戻り
たいけどね(笑)