先日の土曜日に秋田市のミルハスで徳永英明さんのコンサート
ツアーが開催された。秋田は聖地と前に話したため、秋田では
神となった徳永英明さんだが、あまりにも他の地でも話したらしく
嫉妬ややっかみも多くなり最近は発言しなくなった。
秋田と他の地域では何が違うのかずっとわからなかったが、
コロナ渦が始まる数年前から東京や京都まで足を運んでその違いを
感じてきた。まず、東京だが最初は大きな国際フォーラムに参加でき、
何と人生初の最前列にてコンサートを体感できた。その頃、
徳永さんはモヤモヤ病を乗り越えたばかりだったが、体調も悪くして
コンサートが中止になってもおかしくないツアーとなった。
そして、喉に痰が詰まるなどの状態で熱唱し、苦しい姿を見せまいと
頑張っている姿に、どの曲でも泣けそうだった。そして最後に
会場の皆と心が一致して大合唱となり、徳永さんも涙を流した。
そしてコロナへ突入。
3年近く人との接触が制限され、制限が緩んでもマスクと声出し禁止等
あの皆で一体感を味わうコンサートが失われた。
それでも我らが徳永英明さんは聞かせて来る。皆が声を出せないなら
僕が皆に聞かせるという感じで熱唱。おいらは最近涙もろくなり、
徳永さんの名曲で何を聞いても涙腺が緩む。だがそこに根本的な違いが
あった。コンサートに耳が肥えた人たちはもっとたくさん歌えるだろう?
もっと歌えという雰囲気で曲の合間に曲の出来を話している。
どんな演出で曲のテンポを構成しているかわからないくせに、別の
バージョンの方が良いんだよなとか。
そして、拍手の違い。曲が終わる度に拍手は出るがパラパラといった感じ。
曲の途中ではもちろん声掛けなどしないで静かにしているが、批評家が
居る感じで没頭している風ではない。
そういう会場が東京だけでも何カ所かあった。
では秋田は何が違うのか。その昔、秋田ではお行儀よくコンサートでは
無駄話をしないで演者に集中して一斉に拍手する。演奏中は微動だにせず
一心で演者の動作を見て聞くという事から徳永さんにはお地蔵さんに
見えたようだ。悪い意味ではなく、一つ一つの演目に集中して終わると
惜しみない拍手をくれる存在で、初心に戻るらしい。
適当な歌い方ではこの人たちに見透かされると思い、手を抜けない
プレッシャーとなる事が、より歌に集中することになったそうだ。
だから他の地であまり集中してもらえなかった時に投げやりになりそうな時
秋田を思い出して一生懸命歌うようになった。まあ、内容はこんな感じで
言葉はまた違っているがこういう感じみたい。
自分が自分でないような感じになった時も秋田でリセットしてツアーを
乗り越えるポイントとなったようだ。
秋田県人も本物が大好きだ。恐らく基本CDに入っている曲なら音程一つ
同じく歌ってくれないと寂しい。元スマップの中居くんが、なぜ音下げる
んですか?そのまま歌って下さいと言ったことがあるが、まさに秋田県人もそう。
そういう時代を経て、音を下げないけど今持てる技術を使って演出した
古き良き時代の徳永サウンドが今も色あせない。CDでは聞けないレベルまで
かなりレベルアップした曲たちは老若男女の命の糧となる。
そしてMCより歌で秋田を聖地だと伝えてくれるほどのシャウト。
モヤモヤ病で苦しんでいたあの姿はそこになかった。20代、30代で何万人も
魅了した徳永英明が、60代で最高の技術を伴って魅せつける圧倒的な歌声は
正に神。上賀茂神社で奉納しているような神の声。
他県から来たファンも次々にこのコンサートを評価したと聞いている。
おいらは今年2回遠征しているが、地元ミルハスでこんなに素晴らしい
コンサートに立ち敢えて良かった。半分昇天したのであった(笑)