何年くらい前だろう、家族5人で墓参りに行ったのは。
おいらが結婚して26年ほど経つ。子供が生まれてから
10数年はお袋様も元気で歩いていた。何時ぐらいか
お袋様が足が痛いと言って墓参りに行かなくなり、
また親父殿も一人で行くようになった。
うちら3人はなるべく予定を合わせて軽自動車で墓参りに
行くようにしている。ノートは少し大きいし、何より
道路に停めないといけない時、車高が低くて縁石が怖い。
その点ジムニーだと縁石ってあったの?とか、ちょっと
した細い通路でも停めやすい。
お昼なら皆食事で空いていると思い、お寺に向かったが
超混雑していたので、先にお外で食事した。
戻ってくると先ほどとは違ってガラガラだ。いつも停める
我が家のお墓の通路にジムニーを停め、水を汲んで墓参りを
開始。うちは前にも話したことがあると思うが、分家に
あたるので本家の墓と、宗家の墓を相続したので宗家の墓と
2つお参りする。日差しがかなり強く、恐らくこの時間が
一番暑いのではないかと思う。
外の墓をお参りし終わって本堂に入り、隅っこにある
お位牌所3カ所を回り、お花と水をお供えする。
ここで不思議なことが起きた。3か所ある一番遠いお位牌所の
水入れと花瓶を持って水場にいる嫁さんに渡した。次にある
このお寺を創建した際に貢献した先祖のおじいさんの像の
水入れと花瓶を持って嫁さんの所に行くと嫁さんが既に
一番遠いお位牌所の水と花を持ってきた。おいらは再びそれを
設置しに行き、3番目の宗家のお位牌所に行くと子供と嫁さんが
参拝している所だった。3人でお祈りし、おじいさんの像の
前に来ると嫁さんが変な事を言う。
あれ、私がお供えした花は黄色い花一つなのに誰が赤い花
供えたの?
は?誰ってあなたしかお花弄ってないでしょ。怖いこと
言わないでよと子供と二人で話して、その後一番奥のお位牌所へ
向かおうとしたとき、一組の親子とすれ違った。まあ、お寺では
多くの人がお位牌所に行くので大したことではないが、異変は
そのお位牌所でも確認できた。黄色い花を一輪だけ持ってきて
お供えしたので、今年はなんて少ないんだろうと思っていたら
その花瓶にも赤い花が増えていた。あれ?もしかした今の人?
向こうは何も挨拶してこないし誰だかわからなかったが、昔の
記憶を辿って多分本家の長男の人かもと思った。
親戚同士の間でいざこざがあって本家の人とは皆距離を置いて
いたはずだ。親父殿もおいらたちにそのいざこざに巻き込まれる
のを恐れて関わらないようにしていたようだった。
だから子供の頃に少しだけあった記憶はあるが、大人になってからは
親父殿が何度か連絡したが音沙汰がなかったと記憶する。
毎年、お墓参りの時期がずれて、うちがお参りした時には既に花が
お供えされていた。今年は珍しく一番かなと思っていたらほぼ同時に
お墓参りに来たようだ。うちらだけが一族としてお墓参りの順序等を
継承したと思っていたら本家の長男さんにもちゃんと継承されていた
ようだ。今は無き、親父殿の姉が仙台に居た時もこのお墓の由来など
途切れ途切れで継承したものだが、縁の遠くなった本家にも継承
されていて、それを守っている所を見るとうちらの世代の一つ上だけが
いざこざになっていたのだなと思う。
今更、縁を戻そうとは思わない。その縁が元で大きな問題が暫く続いた
時代も本当に存在したのだから。ただ、何十年も縁がない状態で
たまたまお寺で会ったというのもご先祖様の導きだろう。
こんな小さな縁だがそのまま大きくせずに受け止めようと思う。
子供にも親父殿の時代に壮絶な時代があった事をそれとなく話す機会
となった。はとこという関係ではあるがこれ以上深い繋がりもないだろう。
ご先祖様が見せてくれたお盆のひとつのお話。