昨日は趣味の集まりの忘年会だった。

 

ちょうど、午前にはその集まりの長年の貢献者が

 

お亡くなりになって葬儀をした日でもあった。

 

その集まりの忘年会は、おいらが31歳くらいに

 

参加して以来、18年以上も続いている。

 

おいらが入る前から存在していたから多分20数年は

 

続いているのかも知れない。

 

義務で続けているわけではなく、皆心待ちにして

 

開かれる飲み会で、一年間に3回は最低開かれる。

 

まず、会社なんかの忘年会と違うのは、趣味の世界の

 

集まりなので、何の不平不満も出ず、ひたすら趣味の話となり

 

和やかに行われることだ。

 

社会で色々な地位に就いた方でも趣味の世界では

 

新人なるので、お互い上下関係もなく楽しく過ごせる。

 

それが永く続いているのだからまた次からもという事になる。

 

勿論、趣味の世界なのでこの20年の間に多くの人が入って

 

止めてという事情も存在するが、参加者の半分は変らずずっと

 

関わってきた人だ。

 

だが、話を聞くと、その集まりも一度終焉を迎えそうになった

 

ことがあるそうだ。それは、この趣味の集まりの指導者が

 

亡くなった数年前に遡る。

 

指導者が体調を崩し、もう駄目だとわかった時に、

 

全ての集まりの場所を閉鎖して止めよという遺言が

 

あったそうだ。ところがこれに対して、折角の集まりの場を

 

無くすのは忍びないと、今日葬儀された方がおっしゃって

 

指導者のご子息を中心として継続されたそうだ。

 

葬儀された方と指導者は大変仲の良い関係で、ご子息は

 

葬儀された方の下で現在の形を確立していったようだ。

 

また、カルチャーセンターは今まで通り、おいらたちの

 

先生が講師として継続した。

 

永い時間が過ぎて、葬儀された方が最近集まりの場に

 

来ないなあと思っていたら数日前に訃報があった。

 

すごい怖いイメージの方だったが、偉大な貢献者だったと

 

聞いて、改めて思いにふけったのだ。

 

毎年続けているが、いつもその時が最高に楽しい。

 

でもこの楽しい時が永遠じゃないと思うと、できるだけ

 

参加できるときに参加しないと後悔することになると気づいた。

 

そう、今まさに奇跡の瞬間なんだと。

 

形だけしか残っていない忘年会の習慣や年賀状など

 

本来昔の偉い人か有名人がやっていたことをまねて

 

習慣としていたと思うが、時代の流れで要らないものは

 

要らないと切り替えていくことも大事だと思う。

 

必要ない物は処分し、残していくべきものはそこに心が

 

あるのかを考えて、惰性ではなく必要性で行った方が

 

よいと思う。

 

形あるものから何も感じなくなったらそれは無いものと同じだと思う。