最近、ネットが進化して常に繋がっていたい

症候群が多く発生し、ネット上はいつも問題が

山積。

かくいうおいらもネットの恩恵を受けて

自由にブログを書いている。

ネット上に必要以上に詳細を載せると、犯罪の

的になりますが、多くの人は、自分の記事で

同じ感覚を持つ人を探しているもの。

では、自分が上げたい記事と、相手に迷惑が

被る記事の線引きはどこなのか。

これはとても難しいことだと思うが、おそらく

実生活にその答えがあると思う。

面と向かって相手と接する時に、やっても

気にならないことと、やられるとすごく嫌な

気分になる境目が、ネットでもあると思う。

記事でも何でもネガティブに相手に不満だけを

ぶつける記事は、見ていて不快になる可能性が

高い。対して、自分が失敗したことなどを

面白おかしく文章にするのは、とても頭の

いい人の文章だと思う。相手への不満を書くより

賢い書き方で書くほうが、同じ内容でも印象が

変わると思う。


ツイッターが流行りだした頃に始めてみたが、

どうやって使うのか手探りの状態の時に

ある一人の人が、こうやってこうやるんだよと

教えてくれた。ここまではいい人だったのだが、

事細かに自分が、ネットでお世話になっている人の

所に挨拶に行けとか、誰かのツイートに返信して

いたら、自分からのつぶやきはないのか?など

だんだん一方的な使い方だけを押し付けてきたので

それ以来止めた(笑)

ツイッターって自分の好きな使い方があっても

良いと思うようになったし、何でもかんでも

その人の言う通りにしていたら、なんか束縛されて

いるようで、面倒だった。

そのうち、バカッターと呼ばれる意味もない行動に

出る人がたくさん発生したしね。

フェイスブックにしろ、使い方を慎重に研究しないと

思わぬところで嫌な思いをすることだろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141106-00000008-jct-soci

この記事もどうでもいいことで物議をかもしている。

見たい人と見たくない人の真っ向からの対立。

見たくない人は見なければいいじゃないかという

論理が、ネット上では通らない。何らかのキーワード

などで、繋がってしまった人たちの間で、

本来問題にもならないような内容で花が咲く。


もしこの記事が、犯罪の助長となって、ストーカーの

ような人が付きまとうようになったら、何でこんな記事

上げたの?物騒じゃないかと思うだろう。

この授乳の写真が必要なのか、必要じゃないかは

本人の自由だが、悪いことを考える人には、絶好の

的となるだろう。

つまり、自分がこの手の記事を上げることはあり得ない。

後々、自分の身に危険が迫るような真似は出来ないと

危機感を持つ。

しかし、世の中には、見せても何ともない人たちも

沢山いるいるようだ。なので、事件に巻き込まれない

ように自己防衛している人は、こうした事はしない。

また、何かしらの防衛策を取って何も心配要らない

という人は、自由に上げているのかもしれないですね。