心の闇を吐く

心の闇を吐く

夫、娘の3人家族

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昨夜、寝室での娘との会話。

なかなか寝付けない娘。

今日の出来事など話すいつもの時間。


きっかけは忘れたものの、

じーじの話になり、

もう1人のじーじも死んじゃうの?

子供の素朴な疑問をぶつけられ、

いつかは誰でも死んじゃうんだよ。

答えに戸惑いもありつつ真実を伝える。



じーじが死んじゃうって分からなかった、

ぽつりと答えた。

じーじが最期の苦しそうな時、

娘は死を受け入れていなかったようだ。

人が死ぬことを経験したことがないから当然だ。


父は痛み止めの点滴を打ち、

あと数時間で息を引き取るだろうとみんな理解していた時も、

娘だけはこれが最後の別れなんて思いもしなかったろう。

今は苦しいけどきっと回復して、

またボール遊びしてくれると思ってただろう。


でも子供にもうすぐじーじとお別れなんて言えないし、

まだ耳が聞こえる父のそばで、

死が近いような話はしたくなかった。


結論、同じシチュエーションになっても、

私は娘にもうすぐ死んでしまうんだよ、とは伝えないだろう。

長くは一緒にいられないだろうとは伝えても。

自分でもどこか奇跡が起きて、

回復してくれるんじゃないかと願う気持ちがあったから。


ただもし、じーじの死を娘が認識していたら、

娘のあの日の行動は変わっただろうか。


私は情けない親で、

自分が集中したい時は子供にスマホを渡し、

好きにゲームをさせる。


あの日も娘はスマホを触りながら、

スマホに目線を送りながら、

じーじのそばで過ごしていた。


娘からスマホを取り上げると、

誰かが相手をしないといけなくて、

父の世話をできなくなる。

でも娘がじーじっていっぱいはっする時間があれば、

じーじは幸せだったかもしれない。


父が苦しそうでも生きている姿を

その目でしっかりと焼き付けられたのかも。


5歳にどこまで求めていいのか分からないけど、

娘の今日の発言に少しだけ後悔の気持ちが含まれているような気がした。



サービスエリアの弱っていたクワガタ

玄関先のセミの死骸

しおれた花

アリに食べられてるトンボ


この夏、彼女は多くの生命の終わりを見た。

強く優しく成長することを願う。