無意識のワナ | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

こんばんは。(^^)

 

今回はある意味リブログです。

 

人気ブロガーの伊藤海歩さんのブログ、「漆黒のヨメ」に昨朝掲載されていました記事なのですが…

 

記事リンク…「性別に文句はダメです」

 

その中で、

 

「子供の性別決定すんのは精子じゃねーか」

 

のくだりが引っ掛かりまして、一日中考え込んでしまいました。

 

私の父も男尊女卑な人でかなりひどい発言が多く、よくケンカしていました。

 

しかも困ったことに、父本人にはその意識がないというところがたちが悪く、なので、今でも変わっていません。

 

育った環境にもよりますが、本人が意識しないと変えようがないのですよね。

 

「男性が偉くて女性は下」という見方は、日本では江戸時代ごろから始まったというのが、一般的な説です。武家社会が中心になっていたこの時代、家督を継ぐのは男性であって、女性はどこかのお家に嫁ぐもの…という考えから生まれたと言われています。

 

ただ、これも疑問がありまして、例えば、以前に大河ドラマにもなりました「女城主 井伊直虎」の例にもれず、実は女性の武将は多く(例:成田甲斐(甲斐姫)、鶴姫、巴御前など)、その気になれば当時でも城主になることは夢ではなかったと思います。ただ強いだけでなく、人望も厚くないと、民も兵士たちも付いてきませんから。(^^;;

 

と、なりますと、本当の所の理由って、よく分からないのですよね。

 

政(まつりごと)が男性中心となったのは、一説には平安時代に起こった「薬子の乱」からとも言われていますが、それ以前の天智天皇辺りからとも言われていたりと、これも曖昧。(^^;;

 

明治維新の後に、西洋の文化を取り入れ、それ以前の価値観を否定したころから本格的になったという説も(ヨーロッパ諸国が男女同権になったのは意外にも新しく、1970年代から)ありますので、歴史から推察するのはかなり難しいと思います。

 

ただ、どちらにしましても、一度その考え方が浸透してある程度時間が経ってしまいますと、それが「常識」となって定着してしまうという危険性がありまして、しかも、今までその常識の下で過ごしてきた人たちを変えることは、大変困難です。

 

心理学でも、他人を変えるより、自分を変える方がたやすいとよく言いますし…いかに根深く困難な事かがよく分かります。

 

ましてや、私たちのように、肉体と精神の性別の違和が存在する人間の場合、理解されるのが難しく…本人でも説明が難しいのですよね。

 

差別をなくすことは、誰にとってもいいことではあるのですが、今からそれをなくそう!と、思ってもやはり難しいのですよ。

 

常識というものは、習慣や宗教、社会の構成などに大きく影響を受けますので、本当はとても曖昧で脆いもののはずですが、人という生き物はどうしてもそれが絶対であるかのように信じ込んでしまう…

 

私もそうですが、この無意識のワナに陥らないように、気を付けたいです。

 

それでも、差別がなくなる日が来ると信じています。

 

 

ヒマワリあぷりこっと