血まみれのヒーロー・ヒロイン | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

おはようございます。(^^)

…いきなりの凄いタイトルになりまして。(^^;;

まぁ、最近のかの国々の日本叩きにもう嫌気がさしていまして…しかも、大好きな漫画の世界にまで持ち込んで…(--;;

日本の今の首相が右傾倒なのは私でも感じています。そして、その考えで決まってしまった法案の危険性なども。

ただ、それは結局、選挙権や今ある法律などを使えば解決できる可能性のある問題ですので、後は国民がどう判断し、行動するかだけなのではないかと思っています。

過去の問題に関しましては、恐らくですが、たとえ歴史を証明する資料などが考古学者などの手によって発見されたとしても、政治関係者やそれを訴えている国側が認めない姿勢を貫いてしまえば永遠に認められることはないでしょうし、ましてや感情的になっている段階では、火に油を注ぐだけのような気も致します。

#例の漫画フェスの場合は、日本側の主張の仕方にも問題があったことは事実で、ヨーロッパではナチスドイツによるホロコーストを経験している以上、あの主張の仕方はかなりセンシティブに扱われてしまうのでは?と、感じています。

私は過去に何が起こったのか、たとえ資料をたくさん集めて、権威ある先生にみっちり教育を受けたとしても、本当の意味で理解することは出来ないと思います。なぜなら、その時代に生き、経験したことではないからです。極端な例えになりますが、かつての湾岸戦争の時に流れていた、ミサイルから送られてきた目標物への命中の瞬間の映像を、コーラを飲みながらお茶の間のテレビで鑑賞する。どこか遠くで起こっている出来事として捉えている。そんな感覚に陥りそうな気がいたします。

勿論、あの時、戦場で多くの血が流れ、多くの人が恐怖と悲しみの中にいたこと、そしてそれは遠くに住む私たちに無関係ではなかったことは、その後の辿った歴史が証明していますし、明日は我が身にも起こる可能性のある事として、今もそう感じています。

ただ、歴史的にどうであったかはわからなくても、確かにあの時、(生きるために、またはそれに対して判断する余裕もない状況の中で)辱めを受けて、その事で今も苦しんでいる人々がいることは、紛れもない事実だとそう思っています。そして、そのような人々の存在は、双方どちらの国にもいた。そう思っています。

そうした悲しみはやがて怒りに変わり…

よくそのような状況になると、誰かが武器を持って立ち上がり、憎しみの相手やそのリーダーに対して牙をむいてその命を絶つ行為に走っていきます。

そして、その行為が後に英雄的行動だと讃えられ、祭り上げられてしまう。

一見しますと素晴らしい事のように見えてしまいますが、やっぱりこれはおかしいのではないかと私はそう思っています。

確かに、革命や戦争では、命のやり取りを行わないといけない状況に陥ることの方が多い事は確かです。そして、それが国の為、祖国で無事を祈る大事な人の為に、何としても勝利して戦争を終わらせようと思う行為に対して責める気持ちはございません。

ただ、そうして奪った命、流れた血にも、自分と同じ思い、愛する人がいることを忘れてはならないですし、その未来を、希望を自らの手で奪い、断ってしまったその責任は、一生背負っていかなくてはならないと思っています。それを背負う覚悟があるか…そう問われますと私にはありません。自分のことで精いっぱいなのに、凄く重すぎます。

かの国では、この国の内閣総理大臣にまで登りつめた人物の命を奪った人物が、英雄として祭り上げられていますが、私は凄く違和感を感じています。だって、殺人者ですよ。

主義主張があるのでしたら、殺人以外の方法があったはずでは?

勿論、当時の政治状況などが厳しかったであろうことは確かですが、それでもずっと訴え続け、変えてきた人々もいるのですし(マンデラさん然り、ガンジーさん然り、スーチーさん然り)。

見る視点の違いで、ヒーロー(ヒロイン)にも、殺人鬼にもなる…どちらにしても血塗られている事だけは間違いなく。正義とはいったい何なのでしょうね?

そんなことをグルグルずっと考え続けているアプリコットなのでした。

あぷりこっと
朝から重い事を書いてしまいましてすみません。m(__)m