ヒューストン、ヒューストン、聞こえますかぁ?(^^;(レポ1) | Aprikos blogg

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色々ありますが、それでも前を向いて生きようとしているMtFな私の天然ブログです。

お早うございます。アプリコットです。


帰ってきて、ブログを読んだり、ピグの庭の手入れをしていましたら、そのまま眠ってしまいまして、自分のブログを更新するのをすっかり忘れてしまっていました。(^^;


あ、それと、いつものことなのですが、ホルモン注射したあと、鼻の中に何か、こう、何ていうのですかねぇ、たんぱく質系の変なにおいがするといいますか。にんにく注射をしたあとすぐ、鼻の中に、にんにくのにおいが漂うではないですかぁ。あんな感じになるのですよねぇ。にんにく注射と違い、1日遅れて漂い始めるのですが。(^^;


もしかして、私だけ?


気になります…


では、本題です。(^^)



                    Aprikos blogg-ジェミニ、乗り込み口
                    (宇宙船の入り口です)


私は昨日、往年の宇宙船「ジェミニ」に乗って、宇宙旅行を楽しみました(をい)。ヾ(^^;


ジェミニ計画は、その前に行われた、一人乗りの宇宙船を使用した「マーキュリー計画」に続いて、1965年から1966年の間に行われた、アメリカの有人宇宙船打ち上げ計画です。


その後行われた、「アポロ計画」へと続くための重要な計画でして、そのための予備実験と、宇宙飛行士の養成の2つの目的で行われました。


私が乗り込みました「指令船」は、釣鐘型をしていまして(頭頂部が少し円筒形)、高さ3.35メートル、直径2,28メートル、重さは3.2トンもあります。


船内は、地上の約1/3ほどの気圧の酸素が詰められ、宇宙飛行士は、それを呼吸するようになっていました。ハッチを完全に閉じていれば、宇宙船内でヘルメットが外すことが出来たということです。


打ち上げに使いましたロケットエンジン部は、米空軍が開発しました2段式(アメリカは多段式ロケットを採用していました。ちなみにソ連(現在のロシア)は、小さなロケットエンジンを束ねて推力を得る「束ね式」を採用していました。ソユーズなどはそうですね)の「タイタン2型」を採用していました。


64年に打ち上げた初号機は無人で、次の2号機は…打ち上げに失敗しています。(^^;


人間が実際に乗り込みました3号機は、無事打ち上げに成功し、地球を3周回って帰還しています。1965年6月に打ち上げました4号機では、乗組員のE.H.ホワイト少佐が20分間の「宇宙遊泳」に成功。続く同年12月にはW.M.シラー大佐らの6号機が、F.ボーマン少佐らの7号機と、史上初めて30センチの距離までランデブーに成功しています。


その後は、ドッキング成功(8号機)、2時間越えの長期船外活動(9号機)など、幾多ものミッションをこなし、多くのノウハウを積んでいくことになります。


宇宙船は12号機まで打ち上げられました。


では、中に乗り込んで見ましょう!


続きます(をい)。


ヒマワリあぷりこっと


おまけ写真。



                     Aprikos blogg-旅館看板

みっくみくな女将さんが迎えてくれそうな民宿です(笑)。ヾ(^^;