明日で、丸1年。
夫が亡くなってから丸1年。
当たり前にわたしは歳をとり、夫の時は止まったまま。
義両親はまだ元気いっぱい。
新幹線で東京に寄りつつ、我が家にきた。
生体肝移植をしてくれた義弟も来てくれ、
子どもたちも大喜びだった

生きているときに、こうやって皆で集まれたら良かったな
遺影は
何年も前の元気な頃の写真。
最期は痩せてしまっていたから。
遺影なら元気な写真がいい。
夫はカトリックなので
1周忌というのはない。
初盆も表立ってはやらない。
でも
特別な日。
もう意識もないに等しいときに
「ありがとう。4人の子どもはわたしが責任を持って育てるからね。」
と言ったら
必死で首を振った夫。
きっと
死ぬ気はなく、まだ頑張ろうとしていたのだと思う。
自分で育てたかったんだと思う。
どんな形であれ、成長する姿を見たいのだと思う。
夫の写真は、極端に少ない。
それは、仕事で家族のイベントになかなか参加できなかったから。
今となっては それに
救われている。
わたしの記憶の中の夫が映像にならないことで救われている。
死ぬ間際
夫の最期には間に合わなかったように思う。
夫は肺の感染症を起こしていたので
ICUには長い間はいることができず
一旦待ち合い室で
「死」を待っていた。
呼び出されて行ったときには
たぶん何かの機械が0だったから
亡くなっていたと思う。
だけど、医師の優しさで
そんなことはひとことも言わずつないでいる機械を動かし続けてくれていた。
最期の別れをICUに入れた家族、待ち合い室にいた子どもと電話でつないでの最期の呼びかけが終わってから、
わたしが頷くと静かに臨終を告げた。
何かの本で
「何で臨終になるとみんな集まるのか」
「そんな管につながれているときよりも、きちんと会話ができるときに来てほしいと僕なら思う」
というフレーズを読んだときに、
救われた気がした。
未だ
泣くことはない。
苦しくなることもない。
生きているときは
病気と戦っているときは
わたしが治療方法を決めていたときは
幾度となく泣いた。
忙しいのが言い訳で
もしかしたら逃げているのかもしれないけれど
それでもいいと思っている。
そんな1周忌