大人用オムツ。

階段下の物置の中で眠っていたもの。

オムツを見ると思い出すのは

結婚式での誓いのことば。

 

 

幸せの絶頂にいるときには、

全く考えない

「病めるときも」

 

 

そのときに、

近い将来、どちらかが寝たきりになって24時間オムツ交換が必要で、

あなたがフルで働きながら家族を支え介護、育児に専念することを誓いますか?

と聞かれたら

わたしはどう答えていたのだろう。

 

先が見えない夫の介護をしていたとき、まる思っていました。

 

どんどん吸い取られていくパワーと

大切だった楽しい日々。

楽しい日々があるから頑張れていたのが、楽しい日々を思い出すのが辛くなる悪循環。

もう戻れないから辛いのか

今を楽しめる要素が少ないから

辛いのか。

 

介護保険の対象にもならず、内臓疾患の障害だと1級でもサポートの対象外で。

「仕方がない」

仕方がない、分かってはいるんだけど

見放された感じがありました。

 

 

健康になる

そう信じて、治療を受けた夫は

どんどん動けなくなり

それでも信じて治療を受ける。

手術も受ける。

泣き言も言わず。

 

時々、わたしが耐えきれず

本人に

「こんなはずじゃなかった」

と漏らしても

「俺も一緒だ」

とひとことで片付けてくれる強さ。

 

 

わたしは、

腸から栄養をとり、気管切開をし、やせ細って震える体を見て

「質は…これからの生活の質は…どうなんだろう」

とぼんやり考え

医師は、「良くなるため」と言い

本人も望んでいるけれど…

 

生活の質は考えないのかな…。と

 

モヤモヤ。

 

 

夫に

子どもたちに何か伝言を頼んでも

 

生きるつもりだから

些細なことばだけ。

 

末娘には

「デブにはなるな」

という、今後トラウマになるであろう最低なひとことを遺言として残したけど。

 

 

これから生きていく

子どもたちは

「とにかく生き抜く」

ことを、

夫の姿から学んだのだと思います。

それは財産。

 

わたしは、

自分の小ささと、誓いのことばの深い意味を知りました。