とてもとても久しぶりの更新になってしまいました。

 

何故なら、わたしヘルニアデビューをいたしまして(全くしたくなかったけど)

寝ても起きても座っても…なんなら息をしても痛いという初の経験をし、

やっとやっとパソコンの前に座ることができました。

…まだヒョコヒョコしか動けませんが…

 

夫が間質性肺炎という聞いたことも触れたこともない病気になったとき、どなたかが経験を記してくれたブログに夫婦ともに救われました。

夫は、残念ながら生き続けることはできませんでしたが、このよくわからない病気に立ち向かっている方の少しでも気持ちの整理に役立てたらと思い記します。

 

だいぶ前の続きになります…

 

令和1年6月 

肺の線維化が進行したので投薬治療としオフェブを服用開始。

副作用、病状進行を考慮して半年後に肺移植の登録を行うか判断することになった。

自宅庭の駐車場から自宅に戻るまでに息切れで3分程息を整えて戻るようになる。

 

令和1年8月 

在宅酸素開始(3リットル)酸素をしていても階段は昇れず、酸素をして入浴するがお風呂から出ると酸欠で手足が震えることが増えた。痰も多く出て、うまく出せなくて嘔吐することもある。又オフェブで下痢が続いたことと食欲不振により、体重が減る。

平地で酸素をしても息切れで100メートルも歩けず、車椅子で移動。

以上のことから病院のソーシャルワーカーに障害者手帳の申請と障害年金の申請を勧められた。通勤が難しい日も増え、テレワークで対応することも多くなった。

 

令和1年9月

オフェブの副作用と見られる症状(血小板減少)が著しく見られたため、量を減らして様子を見ることになった。

肺移植の登録を早めるよう医師から伝えられる。

 

 

 

以上が病歴・就労状況等申立書

です。

 

 

このときには、障害年金3級が当てはまり

2年後更新の書類が届き、更新した時には障害年金2級になりました。

肺移植後も更新の書類は来ず、受給することができました。(肺移植後書類が来たとしても更新できていたと思いますが…)

肺移植後の更新は、地域によって違うのか…

他の方のブログでは、夫と同じ頃に行った方が更新がきていたと発信していました。