先日、萬田久子さんのご主人(あえてご主人とさせて頂きます)でセオリーの社長兼CEOの佐々木力さんが60歳の若さで亡くなったというので、TVニュースになっていた。
20数年前、結婚していた佐々木さんの子を身ごもったというので随分と騒がれ、NYで出産したというのも当時はあれこれ言われていたのも覚えている。
私は男女が生活を共にするその形はそれぞれが選択すれば良いと思うので、婚姻届を出そうが出すまいがどちらでも良いと思う。
他人がとやかく言う筋のものでもないしなぁ。
(ただケジメは必要だと思うけど。一人と向き合う責任を負いたくないがために関係性をウヤムヤにするのは、自分本意過ぎるし、相手に対しても愛が無さ過ぎる。)
共に生きて行くにあたり、どうしたら幸せになれるのかという、おそらく人間にとってエンドレスな問いについても「まだ良くワカラナイ」といのが正直なトコロだけど、少なくても「自立している(特に気持ちの部分)」同士でなければ、いずれお互いの相手に対する「自分よがりな要求」や「甘え」ばかりが表出してきて、結局自分の思い通りにならないことでイライラを募らせることになるだろう。
2人で共同生活して行くなら「相手に対する依存」ではなく「相手と協力」でなければ、育った場所も環境も考え方も違う物同士がうまく行くはずがない。
で思ったのだが、男女でも多かれ少なかれ小競り合い(?)はあるけれども、長く仲良く添い遂げる人たちは、きっと相手に対して「寛容」であろう、と努力しているんではないかな?
我慢でもなく、あきらめでもなく「寛容」。
籍を入れず、法的に縛られておらず、いつでも解消出来る関係の場合ならなおのこと「自立心」と「寛容」を強く持っていなければ立ち行かなくなるのかぁ、とも思う。
萬田さんと亡くなった佐々木さんのお二人は、お互い経済的にも精神的にも自立しているように見えるし、やはり関わった人たちはみんな「素敵なカップルだった」と口を揃える。
でも亡くなる前に萬田さんがこう言われたという。
「元気になったら結婚しような」と。
萬田さんは「遅すぎですよね」とコメントしていたけど、ご主人はどういうお気持ちだったのだろう。
色んなことがあり籍を入れるという形式は取らなかったのでしょうけれども、あらためて伝えたかった言葉が「結婚しよう」だったなんて究極のプロポーズだなぁ、って複雑な気持ちになってしまった。
籍を入れれば幸せになるという確約があるわけでは無いが、幸せそうに見える事実婚(あんまり好きな言葉ではないけど)でも「結婚」については何か特別の意味があったのだろう。
そう考えると「結婚」て何なのだろうっ?て改めて思う。
しかし、萬田さんのインタビューを見ていて本当に仲の良いパートナー同士だったんだなと思うと、つくづく切ない・・・あ~セツナイ・・・・