ネットに溢れてる自由とか正義と言う言葉に違和感を感じて考えてみました。
自由と言う漢字は中国由来で、中国では昔はワガママと言う意味で使われていたとの文献が残っています。
福沢諭吉はこの自由と言う漢字と英語のFreedomを結び付けて彼が日本人に求める矜持を含めて翻訳しました。
曰く、自由とは思うままに好き勝手にして良いと言う意味ではなく、責任と義務を負い、家族・友人・他人に頼らずに自立している状態で、自分が由しと思う事をする事である。
これが日本語における自由と言う言葉の本来の定義なのです。
辞書にも略されているけれど、大凡はこういった意味で書かれています。
しかし、不勉強な人は自由の意味を履き違えて、好き勝手にやって良いと思ってますよね?
平和が当たり前と考え、生活の礎となる国を守る為に果たすべき義務を果たしていない現代の人の殆どは自由を主張する権利は無いのではないかと思います。
同様に正義と言う言葉も安易に使われている言葉の一つだと思います。
社会通念上の義理人情を測りに掛けて大多数の人が正しいと思う事が正義なのです。
なので、正義は必ずしも一つでは無いんです。
置かれた環境や状況、思想によって正義は異なる為、容易に正義と言う言葉を使うべきではないんですね。
国が違えば正義も違うし、僕にとっての正義は貴方にとっての悪にもなり得るんですから。
わかりやすい勧善懲悪なんて物は現実世界には無いんですよね。
仮面ライダーには仮面ライダーの、ショッカーにはショッカーの正義があり、古代進には古代進の、デスラーにはデスラーの正義があり、地球連邦には地球連邦の、ジオン公国にはジオン公国の正義があり、どちらか一方を悪とは決めつけてはいけないのですから。
僕は自由とか正義とか言う人は信用しないです。