
2012年5月20日18時30分頃、我が家に二番目に来た愛猫のアランが20歳でその生涯を閉じました。
生き物って、体内?遺伝子?に時限装置が組み込まれているとしか思えないですね。
19歳だった昨年の夏、カミさんが人工股関節置換手術を受けて入院していた頃はまだまだ元気で、写真を見ても丸々としています。
年が明けて20歳になっても、3月までは元気でしたし、若い頃と比べれば軽くはなっていましたが痩せては見えなかったし、触ってもそれなりに肉はついていました。
4月に入って歯槽膿漏が悪化したらしく、口臭もキツクなって、エサを食べて歯を気にする仕草を見せるようになり、やがて水を飲んでも痛がるようになったので、病院に連れて行き、何本か歯を抜いてもらい、何日か薬を飲ませたところ、痛みは取れたようで、また食べるようになり体重も少し増えて一安心していました。
GW前までに4回病院に連れて行き、そのたびに悪化した歯を抜いて栄養剤入りの点滴と化膿止めの注射をしてもらい、「しばらく様子を見て、まだ歯を気にするようなら連れて来て下さい」、「ただ、もう歳が歳なので、回復のスピードと老化のスピードのどちらが速いかですよ」とも言われていたので、覚悟が必要だと思っていました。
5月に入って、2週目まではそれでもしっかりとした足取りで、食べる食べないにかかわらず、決まった時間になればエサも要求するくらいは元気だったのに・・・
3週目に入ってから、遺伝子の死へのスイッチが入ったかのように急激に痩せ始め、ほぼ骨と皮だけの状態で足取りもフラフラでやっとのことで歩いて水を飲みに行ったりしていて、エサもほとんど食べなくなった。
その代わり、人間が食べている物を欲しがるようになり、ブリの照り焼きとかチーズ、サンドウィッチのパンなどをほんの少量だけ与えると喜んで食べた。
最後に自力で動いている姿を見れていた19日の土曜日の晩は、人間が酒のつまみに食べていたホタテの刺身を異様に欲しがったので、食べたがるものは好きなだけ食べさせてあげよう、ビッツの時はいろいろやってあげられなくて後悔もしたから、これが最期になるかもしれないと思いながらもホタテを食べさせた。
いつもなら、少し食べれば満足して自分の場所に戻っていくのに、この時は何度もおかわりをねだり、二枚分のホタテをカミさんの手から食べた。
それを見ていた私たちは、こんなに食べるのを見るのも久しぶりだったので嬉しくて、もう少し生きてくれるかなと思ったけれど、逆にこれで満足しちゃったのかな?
命日となった翌日の20日の日曜日は、朝から寝返りを打ったりする以外には動かなくなり、声をかけて頭をなでれば顔をあげてか細い声で返事はするけど前日までのように起き上がることはなかった。
昼前に、買い物に行き、少しでも食べてくれればと鰹節を買ったけれど、その願いは叶わず、夕方、カミさんが、「ににんが・・・」と泣きながら来た時にはもう瞳孔が開いていて、音にも声にも反応しなくなっていて、心臓だけが動いている状態だった。
「頑張ったね。もう頑張らなくていいよ。ビッツが待ってる処に逝きなさい。」
「20年間、毎日楽しかったね。ありがとう。パパとママはアランと暮らせて幸せだったよ。」
と、声をかけていたら段々鼓動も小さくなり、30分くらいしたら完全に停止した。
それからカミさんと、アランを送るための準備をするために買い物へ行き、ダンボール箱で棺を作り、タオルで亡骸を包み、花や好物だったササミや最期にあげられなかった鰹節などを一緒に入れてあげた。
4年3ヶ月前に最初の愛猫ビッツが20歳で逝った時と同様に、20年も一緒にいたので辛く悲しいですし、まだ部屋の何処かからアランの声が聞こえるような気がしますけど、1ヶ月間衰弱していく姿を見てきたので、心の準備は自然と出来ていたのでしょう。
やれることは全部やってあげられたと思うし、思い出せば涙が溢れてきますけど、自然の理として現実を受け入れることは出来ています。
--最初の子ビッツが逝った時は、うちの子が死ぬなんて想像もしていなかったし、あまりにも突然で心が追いつかずに現実を受け入れられるまでに相当な時間がかかった。--
そして、更に翌日の21日(月)、術後検診のために休みを取っていたカミさんにお寺に連絡するように頼んで出社。
9時早々にカミさんから、「個別葬だと13時からだけしか空いてないっていうから予約を入れた」との電話が会社に入ったので、その場で休みを取り自宅へ帰りレンタカーの手配をし、やはりビッツの時と同じように生きている他の4匹の猫たちにもアランと最期のお別れを1匹づつさせてお寺へ。
猫の姿をしているアランを見る最後の時間、夫婦で泣き崩れてしまいましたけど頭をなでながら「バイバイ」と声をかけて出棺。
30分後、骨となったアランを骨壷に納めて「おかえり、おうちに帰ろう」と骨壷に声をかけて帰宅。
レンタカーを借りている時間が余りまくっているので、車じゃなければ行けないホームセンターやスーパーへ買い物に行き、途中信号待ちで並んだバイクが久しぶりに会う高校時代の友人で少し話したりとサプライズもあったけど自宅に戻り、ビッツの骨壷の隣にアランの骨壷を置き、写真をプリントして並べて飾った。
映画「グーグーだって猫である」の中で、こんな台詞がある。
『2匹目の猫は得ですね。最初の猫の分まで大事にしてもらえるんですから』
アランはまさにその通りな生涯だったと思う。
獣医の先生、お寺の住職などから、「20歳まで生きる猫はほとんどいないですよ。長生きしましたね。」と言われるたびに、ビッツもアランも20歳まで生きたので我が家では他の子たちもそれくらい生きてくれるんだろうなぁと漠然と思っていたんですが、調べてみると、完全室内飼いの猫の平均寿命って14.5歳らしい。
猫は7歳から老化現象が少しづつ始まり、ある歳を境に急激に老化が進むそうです。
そう思うと、残っている4匹の猫も、3歳の一番若い猫ピャウ以外はみんな15歳、16歳なので今はまだ元気一杯でいてくれていますけど、残されている時間は短いんですよね・・・
我々夫婦に出来ることはなんでもやってあげるのは飼い主として、家族として当然なんですが、そうなると1匹だけ残されてしまうピャウがかわいそうなので、早目に子猫をもらってこようと思っています。
アラン へ。。。ににん、にん、ぶりちゃん・・・と、カミさんにいろんな名前をつけられてたけどパパとママは精一杯お前を可愛がって、遊んであげて、大事にしてきたつもりだけど、お前の20年間は幸せだったかい?
おしゃべりだったお前がいなくなって、家の中が静かだよ。