もうひとつ 陰に隠れているニュース
東京大空襲の民間被害者が国に賠償を求めていた裁判
原告側の言い分は、

「国が旧軍人や原爆被害者らの救済措置をとっている一方で、空襲被害者にも生活援助や補償をする義務がある。」
地裁は棄却した。
「判決は原告らの被害について「国家の主導の下に行われた戦争の被害という点で、旧軍人らと本質的な違いはなく、原告らの苦痛は計り知れない。原告の主張は心情的には理解できるとしたが、他の空襲や機銃掃射による被害、集団疎開先での病死などを挙げ「国民のほぼすべてが何らかの戦争被害を負っていた」と指摘。空襲被害者を救済するかどうかは国会の裁量の範囲内と結論づけた。」
つまり政治判断に任せた形になった。
同様な裁判は大阪でも起きている。名古屋では、河村たかし市長が今夏、民間戦傷者に対する補償制度を検討する考えを明らかにしている。

戦後60年たって、まだこうした裁判が続く
本当に戦争の悲惨さは計り知れない
自民党のもと防衛大臣
日米安保と国の安全保障の重要性を説く
でも、本当に戦争の悲惨さや脅威の実感はあるのだろうか
万博のとき、杉田二郎たちミュージシャンが作った歌が歌われた
「戦争を知らないこどもたち」である
我々世代のことである
以下はその歌詞である。
戦争が終わって 僕等は生まれた
  戦争を知らずに 僕等は育った
  おとなになって 歩きはじめる
  平和の歌を くちずさみながら
  僕等の名前を 覚えてほしい
  戦争を知らない 子供たちさ

  若すぎるからと 許されないなら
  髪の毛が長いと 許されないなら
  今の私に 残っているのは
  涙をこらえて 歌うことだけさ
  僕等の名前を 覚えてほしい
  戦争を知らない 子供たちさ   青空が好きで 花びらが好きで
  いつでも笑顔の すてきな人なら
  誰でも一緒に 歩いてゆこうよ
  きれいな夕陽の 輝くこみちを
  僕等の名前を 覚えてほしい
  戦争を知らない 子供たちさ
  戦争を知らない 子供たちさ

戦争を知らない我々世代が語る平和とは安全保障とは
本当にもう少し、意味をかみ締める必要がある
そう 痛感する