
私が、人道支援でボスニア・ヘルツェゴビナに出かけて
何年たったのであろう
ずーと昔の気がする
確か長野オリンピックの翌年だったと思う
当時のボスニア・ヘルツェゴビナは、内戦を米国の強制介入で終結させられ、和平のために人道支援の名目のもとに
支援金漬けの成金社会であった
一方、戦争の爪あといまだに
癒えずという状況であった
かつて、冬季オリンピックが開催された美しい首都サラエボに1ヶ月滞在して
医療調査を実施していた。
その当時、ボスニアヘルチェコビナは2つの独立した州に分かれて統治されており、
いまだに反政府が統治している地域も存在していた。
ただ、武力紛争は無く、平穏な生活がもどっていた
ただし、平穏と裏腹に
殺戮に厭きた陰が色濃く、和やかな談笑の裏にコーヒーカップを持つ手は殺戮で染まった血がぬぐいきれない
そんな感じの時代であった。
年間数百人の地雷被災者が出、いまだに地雷除去を実施していた。
30年は続くといわれていた
今朝のニュース
紛争時のセルビア人指導者で、大領虐殺と人道に対する罪で起訴されているラドバン・カラジッチ被告の裁判が始まったそうだ。
裁判までの気が遠くなる時間を思うにつけて、このような裁判は、長く続くほうがいい
そんな気がしてくる
裁判を通じて、紛争のおろかさと悲惨さを忘れないでほしいとつくづく思う
旧ユーゴスラビア
内戦の巣であった。いまだにコソボは解決していない
写真は、ニュースから拾った1992年当時の戦闘写真
ホテルから見た内閣府の爆撃の模様である
私が言ったころ、このホテルも内閣府の建物も存在していない
ただ、ここかしこのビルの壁面に弾丸の跡が、飾りのように残っていた
いずれにしろ
戦争はむなしい
内戦は同じ家の中のけんか
流した涙と血は、いつ乾くのであろう