フォーククルセイダーの加藤さんが亡くなった
62歳である
中学生のころ、ビートルズ、ベンチャーズと強烈な音楽に出会った
我々の世代は、音楽文化は欧米からの、砂漠にまかれた水のように吸収していった。
そして、渇いていた
なぜなら、英語である
音楽の強烈さとメッセージ性にいつもちぐはぐであった
わたくしだけだったのであろうか
ビートルズ、ベンチャーズが代表される音楽性の代表とすれば、
メッセージ性の代表が、ボブ・ディランであり、ジョーンバイズであり、
なんとなく中間に、サイモンとガーファンクルや、PPMがいたようである。
音楽の専門化ではないので、その道の人には顰蹙を買いそうであるが
まあいいか
そして、渇いていた我々少し前の世代が作り上げたのが、フォークソングであった
教祖的、社会的なフォークソングの岡林信康
暴力的な行き場の無いフォークソングの泉やしげる
そして、ナンセンスフォークのハシリとして、高石友也(受験生ブルース)とフォーククルセイダーズであった
あれから、音楽はわれわれの身近なものになり、新宿や名古屋の地下街で集団を作り、
そして、名古屋八事裏山コンサート
中津川コンサートなど音楽が集団となった
もちろんその前に
ウッドストックがあった
そして、70年安保の終焉とともに、
集団音楽から
コマーシャルベースのフォークとなって行き、
ヨシダタクロウ、小室等、かぐや姫などが世の中に出て行った。そして
私は音楽から離れていった。
でも、フォーククルセイダーズの加藤さんは、その中に健在であったようである。
いつだったか、
私の好きだったイムジン川(発表と同時に放送禁止となった。たしか網走番外地もそうだった)を数年前再リリースした。
健在であることに喝采をした
覚えがある。
その彼が、やるべきことを終え、もうすべきことはないと
自らの命を絶ってしまった。
彼にとって音楽とは

問う気持ちはさらさらない
この浅学な私でさえ
60年代70年代の音楽の嵐を経験したものにとって、
音楽には一家言持っている。
キット我々世代はみんなそうだと思っている。
そして、彼はその
気持ちをずーと持ち続けた
稀有のひとりだったのであろう

こころから哀悼の気持ちをこめて、
彼の死を悼む