新しい仕事を始めると、
最初は難しく、荒唐無稽で発散型のプロジェクトであるが、徐々に形が明らかになってくるプロジェクトと
最初は明確なはずが、だんだん問題点が多岐にわたり、発散していくプロジェクトがある
陽子線治療センターのプロジェクトは
そのどちらとも違った
なぜなら、はじめにそろったメンバーすべてが
まったくのしろうとの集団であったことである
そして、全体が見通すことができる人がいなかったのである。
そのメンバーが医療機器センターへ出かけ
専務理事に会った折、
これは医療特区でやりなさい
その一言であった
本当にいいシステムなら
患者に早く使用するべきですよ
それなら、医療特区がいいですよ
その目的のために作られた制度ですよ

眼から鱗がとれた
そんな感じであった
私ひとりであるが
他の人は、医療特区の意味もその概念もわかっていなかった

私は奇しくも
神奈川で最初の医療特区のプロジェクトに、係っていたこと
この制度を作った大臣が
日ごろお付き合いしていた
村上議員であったことである
本当に奇遇であった

そして、この医療特区という言葉ひとつを
頼りに
動き出したのである
無邪気に