妻が倒れた
11月であった
もう何年まえであろう
ずい分、昔の気がする
ショックは長く続いた
12月15日ごろ、
滋子さんの意識が回復した
神様からのプレゼントであった
その後、現実の困難さがどっと肩にのしかかってきた
重苦しい現実であった
12月の寒空
毎日会社の帰り
滋子さんがいる葛西循環器病院へ
そして、浦安まで歩いて帰る
以前、ブログに書いたように
浦安橋からのディズニーの花火は
今も覚えている
そんな
12月22日ごろだった
同じ会社の瀧下氏が、医療機器の輸入をどうしたらいいのか
という相談であった
聞くとまったく素人の会社のようであり、
当時、医療機器販売の規制が強化している時期であり、最悪の時期であり、
消極的なコメントをした
私にとってめずらしいコメントをした
それでもと思い、内容を聞くと
ロマリンダ大学の陽子線治療システムである
先端医療である
当然臨床試験が必要であり、その費用と必要な期間から
無理であるとしかいえないプロジェクトであった
さらに、事業主体者がいないとくる
まるきっり
無邪気な夢ものがたりであった。
そんなクリスマスプレゼント
私にくれた
神様からの贈物であった
11月であった
もう何年まえであろう
ずい分、昔の気がする
ショックは長く続いた
12月15日ごろ、
滋子さんの意識が回復した
神様からのプレゼントであった
その後、現実の困難さがどっと肩にのしかかってきた
重苦しい現実であった
12月の寒空
毎日会社の帰り
滋子さんがいる葛西循環器病院へ
そして、浦安まで歩いて帰る
以前、ブログに書いたように
浦安橋からのディズニーの花火は
今も覚えている
そんな
12月22日ごろだった
同じ会社の瀧下氏が、医療機器の輸入をどうしたらいいのか
という相談であった
聞くとまったく素人の会社のようであり、
当時、医療機器販売の規制が強化している時期であり、最悪の時期であり、
消極的なコメントをした
私にとってめずらしいコメントをした
それでもと思い、内容を聞くと
ロマリンダ大学の陽子線治療システムである
先端医療である
当然臨床試験が必要であり、その費用と必要な期間から
無理であるとしかいえないプロジェクトであった
さらに、事業主体者がいないとくる
まるきっり
無邪気な夢ものがたりであった。
そんなクリスマスプレゼント
私にくれた
神様からの贈物であった