今、ライフワークとして
というより、これが最後の大仕事と思い、陽子線治療センターの設立に微力だが、協力している
3年たった
丁度、滋子さんが倒れた年の押し迫った12月25日に相談された。
クリスマスプレゼントではないが、滋子さんが倒れた不安の中、その不安を打ち消すように、のめり込んで行った
それから、3年
4年めに突入した
強力な協力者のたくさんできた
去っていった人も多い
今年こそと、自治体の組長と思いを同じにしている
国の行政も係ってきている
その分面倒なこともあるが、心強い
なにしろ、100億円以上のプロジェクトである
その先に安心して受けられる、負荷がないがん治療の実現がある
癌の治療は癌の形態により、多くの方法がある
患者が自由にその方法を選択する時代がすぐそこにある
もしかしたら、今その場所に立っているのかもしれない
いずれにしろ、社会的に有意義な仕事と思っている。
滋子さんが倒れ、大きく変わったことは、生活である
そして、徐々にであるが、仕事も社会性の高い仕事を選ぶようになってきた。
大変な事業である
しかし、多くの友人を作れる事業である
いつか、桜の木のしたで、お互いに頑張ったねといいながら、酒を酌み交わすときが来ることを祈っている

行く春を 桜ばなと 杯に