私の父は、健在で岡山にいる
肺気腫を患っており、心配の種である
電話の声で、元気かどうか、肺気腫で苦しんでいないかどうかわかることが唯一の好きである。
その父は次男であり、長男はなくなっている。姉がいて、嫁いでいる
その子供が私のいとこで、3名いる
母親は3人姉妹の末っ子である
3人の子供は5人、 私には、一人の妹と3人の母方のいとこがいる
いとこは合計6名である
滋子さんも3人姉妹で、次女である
我が家が子供二人、長女には二人子供がいる。
わが子には、二人のいとこがいることになる。
娘のだんなは、3人兄弟であり、下に妹が二人いる。
扇を考えると、私と滋子には幅広い人間関係があるようである。

私自身、慶弔についてあまり関心が無いというか、親戚だからといって、会うことはあまり無い
滋子さんは、世間の常識というか、神戸の姉からとやかく言われたくないようで、せっせとやっていた。
今は幹子が、何かといってくる。
嫁いで、新しい親戚がドンとできると、気をつっているのだなと思っている。
長男の甚六とはよく言ったもので、
よきにはからえ
である。
ここ最近、30年来の友人との同窓会
父方の親戚からのメール
介護亭の常連さんであったとのこと、びっくりしています。
いずれにしろ、懐古鏡をのぞいているようで、いつの間にか、少年時代、学生時代の自分がいます。
慶弔だけでなく、平素の付き合いが必要なのでしょうが、
長い間に、生活環境、社会観が変わっていくにつれて、疎遠になっていた関係を、急に繕うのはむずかしいのかもしれません。
しかし、懐古鏡を覗きながら、少年時代や学生時代に戻っている自分を見つめていると、それもいいな と思ったりしております。
こうした、機会や便りを送っていただいた諸兄に感謝しております。
まずはお礼を