以前働いていた英国の会社
フランスの製造拠点の仕事をしていたので、
フランス人の仲間が多かった
ようするに、ジャンとかピエールである
彼らは、ほとんど米国人のようにFirst Nameでは呼ばない
無理もない
ジャンやピエールは太郎、次郎の感覚
オスの仲間に、ジャン・マリーという名前のやつがいた
さしずめ彼は太郎花子 という名になるのだろうか
さておき、その友人が来日した折、
日本人の女性は、髪をカラーに染め、眉を吊り上げたように描く
フランス人の女性は、髪の色を黒く染めるのがはやっていて、眉をなだらかにするように描く
所詮、女性はないものねだりをするホモサピエンスである
なるほど
確かに男性には、こうしたないものねだりはない
あまり外観を化粧使用という考えはないのかもしれない
動物は逆である
オスがあでやかである
50歳過ぎると、男性は外観ではなく、どのように生きてきたか、これから生きていくのかが重要なのだと痛感する
外観はあまり飾らない
傍らの女性が、性別でなく個体差よとうそぶく
なるほど、確かに費用対効果の観点から、化粧は人によるかも
失礼しました
いずれにしろ、外観より生き様という考えは年々強くなる
ここ最近のお酒を飲んで、どっくんと飲んだか飲まないかなどと
子供の薬を飲むときのような言い訳をするアル中のNさんやこどもが好きなおもちゃで遊んでいるように、景気対策景気対策と騒ぎながら、年金福祉、拉致問題をすっかり忘れているAさんを見ていると、性別差ではなく、個体差かと納得したくなる
子供に生き様と聞いても、何のことときょとんとするだけ
Aちゃん、N君、もう日が暮れたから、パパやままが心配しているからお帰りといったほうが効果があるかもしれない
本当に、かつての日出る国から没する国になってしまった
経済大国から政治貧国
こんな言葉がよく似合う