学生のころから、30前まで、時折、山に登った。
軟弱な山登りである
それでも、白馬や穂高を目指した
テントは重過ぎるので、山小屋どまりであった。
夏の7月末から8月上旬は、天候が安定している。
したがって、そのころによく登った。
天候がいいことから、同じことを考える人が多く、山小屋は満員であった。
山小屋は満員だからといって、宿泊を拒否しない
応召義務という言葉がある
電力会社など独占事業は、僻地にまで電気を供給する義務がある。このことを応召義務というそうである。山小屋も同じことで、宿泊を拒否できないのである。
医療はどうなのであろう
医療を医師が独占する以上、医師が僻地や地方の病院を敬遠するのは、この義務違反であるそうである。
至言である一方物議をかもしている。
理由は簡単である。
電力会社のように、国の保護を医療は受けていないというのが医師の実感なのであろう

経済産業省や資源エネルギー庁は電力供給などのプロであり、現場が応召義務を果たすための保護が行き届いているのであろう
厚生労働省は医療介護のアマチュア集団であり、米びつの米の量を財務省に気兼ねしながら、ひとつぶずつ数えている。そして管理して、削減することにせいを出している。
応召義務は医療の絶対条件である。
でも、その義務を果たす医療従事者、介護従事者の声を聞いていないのでは、なんともならない
山小屋の自然環境は常に厳しい
助け合わなければ、生存できない
老齢化が進んでいる都市、地方は、山小屋の環境に等しくなっている
新聞紙面で、医療をうけられない不幸や、市民病院の閉鎖などの話題が時折にぎわしている
日本で、このような医療の荒廃がささやかれているなか、厚生労働省は医療従事者や介護従事者の声をもっと聞くべきであり、関係者は応召義務の重さを実感すべきである。

麻生さんの顔をみながら、彼のいっている言葉を聴きながら、こんなことを考えている
本当に人によく考えさせてくれる御仁である