
日本は、本当に宗教観のない国である
海外で暮らすと、実感する
同じ宗教でも、国により異なる。
Ⅰ国Ⅰ宗教でもない
たとえば、イスラム教
イラン、イラクなどのイスラム教の厳格さに比べて、カザフスタン、タジキスタンは、西洋よりになっているし、セネガルのようなアフリカに行くと、イスラム教としての純粋さはのこっているが、どこかルーズになっている。
少し、セネガルの話をすると、セネガルでは、イスラム教が圧倒的である。毎週金曜日の午後は、正装して、お祈りを行う。町のここかしこで、ござを引いて、聖地に向かってお祈りをする。さらに、大統領よりイスラム教の教祖のほうが、国民に人気がある。
かといって、神格化されているのではなく、人間性が豊かである
女性を何人もはべらせたおじいちゃんである お布施により大富豪となっている 乗っている車は、白いリンカーンである
セネガルでは、一夫多妻が認められている
一方、結婚式のとき、一夫多妻をとるかどうか、宣誓しなければならない
一夫多妻を望むと、結婚相手に困ることになる
したがって、必然的に一夫一婦制となる
国としても、富国強兵から、警察官と兵隊には一夫多妻を推奨している
一人のおとこが、3名の女性を愛し、3人の面子を守ることは非常に困難である。
新年のお祭りにタバスキという行事がある
国家行事である。
何をするというと、一年の稼ぎで、羊を買い、みんなで食べる
おかげで、そのころになると、道のそこかしこで羊の市がたつ
羊の鳴き声であふれる
悲哀より活気がまさる
さすがアフリカである
3人の妻をもつと、3匹の羊が必要となる
しかも、わずかながら、差をつけなければならない
つけすぎると、別の問題が発生する
私の運転手はモスリンであり、3人の妻がいた
一年の稼ぎで、3匹の羊を買い、故郷へ意気揚々と帰っていた
国中羊の殺戮である ホロコーストである
タバスキの当日、洗面器に血だらけの羊の肉を持った少女が家から家を渡り歩いている
イスラム教らしい施し、善行である
いずれにしろ、この国はイスラム圏であることは違いなく、平和な国である。
旧ユーゴスラビア
イスラム教、ユダヤ教、キリスト教が入り乱れた国である
多くの歴史と悲劇が生まれ、国中に刻まれている。
日本は宗教観のない国である
戦国時代に一向一揆があり、天草の乱があったが、局地的な争いであり、短期的な争いである。
上の3つの宗教、勃興時代はいざしらず、いまだに紛争の火種である。
写真は、ボスニアヘルチェコビナの写真である。
オーストリア皇太子がセビリア人に射殺され、第一次世界大戦が始まった場所である。
まさに歴史がそこにある
第一次世界大戦が宗教争いからとはいわないが、宗教観のちがうひとたちがひしめき合うこの地から、世界中を巻き込んだ悲劇が始まったことに違いない