20数年前、女子医大のある先生から、乳がんの切除後の乳房を作る手伝いを依頼された。
当時から、乳がんの手術で、乳房を切除してしまうことが、女性にとって如何にダメージが大きいかという認識はあまり高くなかった。特異な病気であったからかもしれない。担当の先生は若い先生であったが、今まではがんの治療が優先されているが、そのうち、治療後の患者の精神的ダメージの焦点を置いた医療が重要となると明言していた。
数人の患者にも、お会いした。女性であり、母親であった。何より子供の目を気にしていた。乳房がなくなることで、母親でなくなるような気がするといっていた言葉が、今でも残っている。ブラジャーに布をつめて、乳房を作っていた。当時ワコールの国際部が海外から専用ブラジャーを輸入していたが、日本の女性とは体型がちがうことから、実用ではなかったようである。むしろ、手術前におっぱいのかたちをとっておき、シリコンで付けらにかというのが先生のアイデアであった。実用化まではいたらなかった。
フラメンコダンサー宮田美乃里さんが、書いた「乳がん私の決めた生き方
限りある命を花のように」も鮮烈であった。
あえて、乳房を傷つけての生存より、死を望んだ。今は故人である。
読むことを進める気はしない
乳がんと立ち向かう人の苦しさは実感できる。
乳がんは複雑な病気である。
今、ごく初期の乳がんを陽子線治療で、乳房に傷つけない治療センターを作ろうとしている。私のライフワークになりそうである。
ピンクリボンの運動がある。米国で始まり、今日本でも盛んになっている。
ピンクリボンの運動
早期発見早期治療である。
早期に発見し、もし初期段階で陽子線治療が可能なら、乳房を傷つけなくてすむ。
もしかしたら、どんどん乳がん検診をする人が増えるかもしれない。
今は、乳がん検診の実施率はあまり高くない
理由は、乳がん検診の有効な手段であるマンモグラフがあまりにも痛いことがあり、二度と受けたくなくなるそうである。
しかし、もうひとつの理由は、乳がんが怖くて、もし乳がんだったらと思うと、検診への足が遠のくのだそうである。
もし、早期発見して、乳房を傷つけなくてすめば
可能性は大きく広がる
これが、私のライフワークです。
当時から、乳がんの手術で、乳房を切除してしまうことが、女性にとって如何にダメージが大きいかという認識はあまり高くなかった。特異な病気であったからかもしれない。担当の先生は若い先生であったが、今まではがんの治療が優先されているが、そのうち、治療後の患者の精神的ダメージの焦点を置いた医療が重要となると明言していた。
数人の患者にも、お会いした。女性であり、母親であった。何より子供の目を気にしていた。乳房がなくなることで、母親でなくなるような気がするといっていた言葉が、今でも残っている。ブラジャーに布をつめて、乳房を作っていた。当時ワコールの国際部が海外から専用ブラジャーを輸入していたが、日本の女性とは体型がちがうことから、実用ではなかったようである。むしろ、手術前におっぱいのかたちをとっておき、シリコンで付けらにかというのが先生のアイデアであった。実用化まではいたらなかった。
フラメンコダンサー宮田美乃里さんが、書いた「乳がん私の決めた生き方
限りある命を花のように」も鮮烈であった。
あえて、乳房を傷つけての生存より、死を望んだ。今は故人である。
読むことを進める気はしない
乳がんと立ち向かう人の苦しさは実感できる。
乳がんは複雑な病気である。
今、ごく初期の乳がんを陽子線治療で、乳房に傷つけない治療センターを作ろうとしている。私のライフワークになりそうである。
ピンクリボンの運動がある。米国で始まり、今日本でも盛んになっている。
ピンクリボンの運動
早期発見早期治療である。
早期に発見し、もし初期段階で陽子線治療が可能なら、乳房を傷つけなくてすむ。
もしかしたら、どんどん乳がん検診をする人が増えるかもしれない。
今は、乳がん検診の実施率はあまり高くない
理由は、乳がん検診の有効な手段であるマンモグラフがあまりにも痛いことがあり、二度と受けたくなくなるそうである。
しかし、もうひとつの理由は、乳がんが怖くて、もし乳がんだったらと思うと、検診への足が遠のくのだそうである。
もし、早期発見して、乳房を傷つけなくてすめば
可能性は大きく広がる
これが、私のライフワークです。