囲碁というゲーム
ゲームというとしかられるかもしれない
でも何と言うのだろう
将棋、囲碁はアマチュアで我々がやっているのであれば、ゲームであるといっても差し支えないだろう
でも、棋士が真剣にやっている試合は、げーむではない
英語では便利な言葉がある。
Businessである
キリスト教の伝道もBusinessである。
それはそれとして、
囲碁は、先手、後手と交互にうつ陣取りゲームである
したがって、圧倒的に先手が有利である
先手後手を台頭にするために、ハンディキャップをつけている
盤上の桝目をもく(目)として数え、5.5目のハンディキャップをつけている。
コミという
中と半端な0.5は、引き分けを無くするためであり、何がなんでも勝敗をつけるという考えのようである。
数年前このハンディキャップを6.5に引き上げた
統計的に5.5では若干先手有利であることが理由である。
わずか1増やしただけで、打ちかた、定石が大きく変わった。
後手が積極的なうち方を求められるようである。
人生の先手、後手は、先輩後輩なのかなあ
とすれば、年功序列という規範が陳腐化したこのごろ、
先手後手の有利さはない
言いかえれば、コミはないのである
むしろ年齢を重ねることによるハンディキャップが大きく、コミがほしいくらいである。
この概念のポイントは、盤上ではイーブンであることからきている。
すなわち、年功はないのである。
むしろハンディキャップである。
私にとって、若くてステキな女性の前で、年齢的ハンディキャップを大きく感じ、思わずコミをくれと叫びたい
すみません
出家の身で
まだ托鉢のころの習性が顔を出します。
永田町、国会議事堂にたむろする
後期高齢者、あるいは予備軍の皆さん
もうコミは有りませんよ
閉塞感を感じる
党、派閥、族などというコミを取り外して、議会で真っ向から戦ってみては
国民はそういう試合を見たいのですよ
ゲームというとしかられるかもしれない
でも何と言うのだろう
将棋、囲碁はアマチュアで我々がやっているのであれば、ゲームであるといっても差し支えないだろう
でも、棋士が真剣にやっている試合は、げーむではない
英語では便利な言葉がある。
Businessである
キリスト教の伝道もBusinessである。
それはそれとして、
囲碁は、先手、後手と交互にうつ陣取りゲームである
したがって、圧倒的に先手が有利である
先手後手を台頭にするために、ハンディキャップをつけている
盤上の桝目をもく(目)として数え、5.5目のハンディキャップをつけている。
コミという
中と半端な0.5は、引き分けを無くするためであり、何がなんでも勝敗をつけるという考えのようである。
数年前このハンディキャップを6.5に引き上げた
統計的に5.5では若干先手有利であることが理由である。
わずか1増やしただけで、打ちかた、定石が大きく変わった。
後手が積極的なうち方を求められるようである。
人生の先手、後手は、先輩後輩なのかなあ
とすれば、年功序列という規範が陳腐化したこのごろ、
先手後手の有利さはない
言いかえれば、コミはないのである
むしろ年齢を重ねることによるハンディキャップが大きく、コミがほしいくらいである。
この概念のポイントは、盤上ではイーブンであることからきている。
すなわち、年功はないのである。
むしろハンディキャップである。
私にとって、若くてステキな女性の前で、年齢的ハンディキャップを大きく感じ、思わずコミをくれと叫びたい
すみません
出家の身で
まだ托鉢のころの習性が顔を出します。
永田町、国会議事堂にたむろする
後期高齢者、あるいは予備軍の皆さん
もうコミは有りませんよ
閉塞感を感じる
党、派閥、族などというコミを取り外して、議会で真っ向から戦ってみては
国民はそういう試合を見たいのですよ