私の朝の話が多い
理由は、朝の散歩時が、一番ものを思うことができること
もうひとつは、朝の散策は、季節感と天候を感じるからだろう
今日は低血圧が近づいている
空は、灰色の雲とかすかな水色の空が勢力争いをしている。
ほとんど灰色の沈んだ世界である。
朝日が昇ってきた
見ると、雲と空の境目は、朝日を浴びて、真綿色の雲
灰色の雲が真綿色に縁取られていて、全体の立体感を感じる
いずれにしろ、冬の空であり、朝である
今日は吐く息が白い
以前滋子さんが、病に倒れた折、友人に
今まで托鉢に出て、修行をしていましたが、これからは、寺での修行となりますので、よろしくと便りを送った。
本人修行が足りず、いまだにお寺修行が満足にできていない
今、夜寝る前に、一切の片付けをしない
散歩から帰り、滋子さんのいる部屋へ行き、夕べの残骸(ビール缶、コップ、食べ残し、移動ソファー、衣類、書籍)などを片付ける
台所へ行き、水仕事
部屋は朝日にあふれてくる
滋子さんへの朝の行事を行いながら、お湯が沸くのをまっている
朝日がカーテンを伝っていく
やがて、バスの音、通勤通学の人の声
托鉢は、朝帰りの楽しみであった
みんなこれから起きようとするころ、仕事と遊びの区別のない托鉢修行から帰っていく
しばしば、滋子さんが運転する車のなか
外の景色を味わうこともなく
人生を味わっていたようである
寺での修行は、また違った味わいを私にくれた
だから、しばしば書いている
当分つづく