公平性と平等というのは、非常に難しいことである。
麻生さんは、本音というか、たとえが下手なのだろうが、
のんべんだらりと生きてきて、病気になったひとの医療費を、高い税金を払って、健康管理をしっかり行っている自分がなぜ負担しなければならないのかといって、あわてて、謝罪する。
こっけいだけれど、いっている内容は道理である。
イソップは
ありとキリギリスで勤労の尊さを言っている。
昔尊敬してた師が、高額な納税をし、社会貢献をしている自分の一票とそこらのおばさんの一票が同じというのは、不公平であるといっていた。
麻生さんと同じ発想である。
私もそう思う。
ただし、それが正しいとは思わない。
人間には平等にチャンスを持っていて、一生懸命そのチャンスをつかみ、努力する人間と無駄に過ごす人間がいるとして、その二人が同じ収入を得るとしたら、不公平であり、だれも公平とは言わない。
麻生さんはそういいたいのであろう。
一律給付もそうだけれど、最初は景気対策であったはずが、いつのまにか、高額所得者には辞退してもらおうという社会保障の性格になってきている。
国民保険や年金は、社会保障であり、収入や人間が偉いとかにより決められるものではなく、人間が政府に保障されている平等性である。
政府がこの平等性を担保できなくなれば、その政府の存在理由はなくなる。
努力した他努力される分だけ報われるというのは、公平であるが、一般的にいえば幻想である。
努力しても報われないこともあるし、努力しなくても幸せになることもある。
さいころの目のように、出たとこ勝負である。
人間万事塞翁が馬という中国の教えのように、何が幸せで、何が不幸か決められないし、時とともに変わっていく。
若いころ、元気で、健康のために努力しないで、病気になって国民保険の世話になって、、、、云々は大きなお世話である。
こんなたとえを国が担保する平等性を協議する国の最高諮問会議で、最高責任者言ってしまえば、顰蹙を買うに決まっている。
亀井静香が、「それをいったらおしまいよ」といっていたが、本当である。
かつて、ケネディが演説をし、フルシュチョフが感激し、米ソの軍縮が始まった。
その演説は、
われわれは、イデオロギー、宗教、文化を異にするとしても、同じプラネット(地球)に住み、同じ大気を吸い、同じように可愛い子孫を残し、そして死がある
といった趣旨である。
ケネディの偉大さは、国が担保すべき平等性のみでなく、地球 世界が担保すべき平等性を担保しようとしたことである。
麻生さんとケネディを比べると、ケネディさんから誣告罪で訴えられるかもしれないが、

日本には本当の政治家はいないのでしょうか。
自民党の国会議員のみなさん教えてください。
麻生 のあとはだーれ
そろそろ顔を見せてください。