米国では、殺人事件には時効がないとのことである。
勿論保釈もない。殺人事件と反逆事件には保釈がないのである。
殺人と反逆が同じ次元というのは興味深い。
キリスト経文化では、殺人は大罪なのでしょうか。
日本では、長い時間がたつと、例え容疑者が発見されても、目撃者の死亡や証拠の信憑性に問題があることから、時効があるのだという。

社会保険庁の一連の犯罪に時効はあるのでしょうか。現役世代に年金の不安と借金を残し、年金世代から詐欺行為を行い、レセプトは5年間しか保存していないからわからないと嘯いている。
昨日のテレビで民社党議員から犯罪行為であると言われた社会保険庁の職員は、むっとしながら、どんな犯罪ですかと思わず答弁していた。
本音だろうけど、思わず苦笑いをしてしまう。
きっと、法的に処罰されないから、犯罪でないと思っているのであろう。

本当にそうかもしれない。
社会保険庁、厚生労働省、この犯罪に加担した歴代の職員、数は膨大なものであろう。
すべての容疑者の犯罪を立証しようとすると、膨大な費用と時間が必要である。
それこそ、税金の無駄遣いである。 と思っているのだろう。
したがって、法的な処罰はできない。ゆえに犯罪ではない。

なにか個人的な人殺しであり、国家的な大量殺人は戦争であり、殺人ではない。
よく似た発想である。
古今東西、戦勝国の人間が、戦争犯罪で処罰されたことはない。

社会保険庁の犯罪はどうなのであろう。一定の時間を決めて、時効を設定するのだろうか。
それとも、戦争と同じように、なにか大義名分をつけて、戦勝国となって、処罰を免れるのであろうか。

いずれにしろ、みたくもない決着である。