朝 6時 昨日はむしろ肌寒い。

散歩の途中。失礼と木陰で、用を足した。
朝のすがすがしい気持ちとあいまって、本当に気持ちがよい用であった。
青空のもとでの放尿感はいい。
子供の頃、トイレは今のように水洗式でないから、くさくて暗い場所であった。にもかかわらず、漫画のほんを持ち込んで読んでいた。今では考えられない。
でも、ひとりになれる場所でもあった。
同じ頃、田舎の家に行くと、くさくて、暗くてのほかに怖いというのがついてきた。
田舎の家では、トイレは家の隅にあり、特に長い廊下それも薄暗い廊下の先にあった。
本当に怖かった。怖くていけなかった。そういえば、トイレのことを昔雪隠といったけ。今は死語だけれど。どうしてトイレのことを雪隠というのだろう。後で調べてみるか。
夜トイレに行きたくなると、仕方なく、家の外に出た。門を開けると目の前に小川があり、そのそばで用を足した。
虫の声がやかましく、少し励まされた。羽虫がうるさく待っていた。遠くの山並みが黒く、くっきり浮かび、見上げると満天の星であった。私の田舎は岡山県小田郡。本当に田舎であった。星がよく見えることから、近くに東京大学の天文台があった。
本当に星がきれいであった。
その下での放尿はまさにに大自然であった。困るのはマムシが多いこと。
本当に怖かった。

朝のすがすがしい散歩。とりとめなく考えていると、何時に間にかわがマンション。
さて、滋子さんの介護。オムツ交換。

追記
雪隠の語源
雪竇禅師(せっちょうぜんし)が中国浙江省の雪竇山霊隠寺で便所の掃除をつかさどったという故事からであるそうだ。このせっちょうがなまって、雪隠というようになった切がある。
将棋で、角で王様がつまされることを雪隠づめという。まだ死語ではないのか。