その国を訪れたのは、1995年だったと思う。
コーカサスの南にあり、首都のホテルから見るコーカサスは起伏の少ない山並みであるが、ボリュームに圧倒された。草木のないどっしりとした山並みである。首都の北側はこの山並みである。
かつて、スターリンが愛したワインがある。甘口であり、ホテルでワインを頼むとこの手の甘いワインが当然のごとく出された。もう少し甘くないのをと頼むと、ふん、ワインの味の分からない東洋人と冷たい眼でにらまれながら、カウンターごしに出された。
アレキサンドリア種のワインである。旧ソ時代はリゾート地域であり、ロシア人が訪れたとのことである。
芸術と音楽の国である。レストランには、必ずといっていいほど、音楽家が演奏していた。聞くと著名なバイオリニストであり、ピアニストであった。
当時はエネルギー危機で、1日6時間程度しか電気が通じなく、殆どの家がマキで炊事をしていた。電気が24時間通じているのは、地下鉄と病院とパン工場だけとのことであった。
その病院は、難民の宿泊施設となっていた。
混迷した時代であった。
その国の名はグルジア、英語ではジョージア。
かつて、ロシア時代、長年外務大臣を務め、親日派であったシュワルナゼが独立後、初代大統領になった。その後、政界は混迷。詳しくはしらない。
かつて、旧ソ時代、公式なことばは、ロシア語とグルジア語であった。旧ソ時代の地位は高かった。
グルジア人の性格はいけいけドンドンであり、激情がたのようであり、その性癖により歴史が作られた。地政学的に重要な地域であり、ペルシャ帝国、ビザンチン帝国の属国であった時代がある。
グリジアのブランディには、鶴のマークがあり、その数で高級品かどうか分かる。グルジアにとって、鶴は大事な鳥であるそうだ。かつて、イスラムに城を包囲され、篭城し、食糧がつきかけたとき、鶴がワインの房を嘴に咥え、飛来し、助けてくれた由来からだそうである。
その鶴は、アフリカから飛来する。鶴がアフリカから。日本とはまったく逆である。
現在オリンピックに浮かれているような世界で、戦火の中にいる国がある。
グリジアである。
皆さんにとってなじみのない国である。
かつて訪れた国が戦火の中にあるのは哀しい。
グローバリゼーションとかハーモナイゼーションとか、国際化を横文字で表現することはたやすいが、これは、アメリカやEUもしかしたら、中国とのことであり、世界中にある多くの国とはまだまだ遠い。
グルジアは遠い。しかし、ニュースメディアは、我々にほんの目の前で、戦火が開かれているかのように映し出している。
我々は、このギャップをどう考えたらいいのか。
早く、平和がくることを。
かつて、ボスニアヘルチェコビナで悲劇の内戦が繰り返され、あの美しいサラエボが戦火の中にあった。米国が強制的に銃器を下ろさせ、平和のために援助というにんじんをぶら下げた。
偽りの平和がもたらしたものは、9.11事件である。
早く平和がくることを、偽りでない、強制されない平和が。
日本は63回目の終戦記念日がくる。