今日も本当に暑い。
こんなとき、冷たいカキ氷が食べたいと思うのだけれど、本当に見かけなくなった。あの、氷と書いた旗が店先から消えた。
以前は、殆どの食堂で、夏場、氷の旗、のぼりというべきかも知れないが、はためいていた。
うだるような暑さの中、かき氷は、ひと時の涼を私たちに与えてくれた。
今は紙コップにカキ氷、ストローと味気ないものになってきた。
以前は、肉厚のガラスの杯に白い氷の山が定番であった。
40年ぐらいまえ、初めて東京に来て、神保町の本屋街で食べたかき氷。そういえばまだ都電が走っていた記憶がある。
食堂でカキ氷を頼むとガラスの杯に白いこおりの山。蜜(シロップ)がない。よく見ると、氷の下にシロップがあった。どうして、食べるのだろうと周りを見ていると、スプーンでコツコツ、氷を叩いている。そのうち、こおりが溶け出して、シロップの中に氷が納まっていく。氷が解けて水かさが増えてきて、氷がシロップに中に沈んでいく。
そしてそれをすくって食べていた。
関西ではシロップは氷の上に掛ける。
シロップをスプーンで氷と程よく混ぜながら、氷を食べる。そしてその氷が舌の上で解けていく快さを楽しむ。
その楽しみが関東にはない。ほとんど解けてしまった氷水をスプーンですくって、食べている、というより飲んでいる。
どうでもよいことだけど、長年関東風カキ氷は苦手であった。
スプーンで氷を叩いていると、氷が杯から零れ落ちる。すぐに食べたいのに、上はただの味のない氷。早く食べようと思っても、氷が適度に解けて、床上浸水しないと美味しくない。
まったく、不快な食べ物である。
関西では、シロップの上に、コンデンスミルク、アズキをトッピングする。
関東では、シロップは相変わらず、氷の下。コンデンスミルクとアズキは山のいただきにちょこんと乗っている。
どうして食べるのだろう。ミルクとアズキだけでは甘すぎる。程よい甘さを求めるなら、また、さくさくとスプーンで氷を叩いて、溶かさなければならない。
ミルク金時の話である。
うだるような暑さである。しばしの涼としてカキ氷を求めたい。
体の中から冷たくなる。時折、血液が冷えすぎ、脳血管のゲートが閉まり、脳血流が現象し、こめかみが痛くなる。少し時間をおいて、痛みが治まってくると、また食べ始める。
周りで、せみの声がうるさい。油蝉である。
やがて、最後に、冷たく冷えたシロップが杯の中に残る。一気に飲み干す。
しばし夏を忘れる。