銚子は、日本有数の漁港である。新婚当時住んでいた鹿島、実は茨城県波崎町。利根川の河口にある町である。銚子のお向かいさんである。したがって、新婚当時よく買い物にいった。新鮮な魚介類を市場でもとめた。マンボウ、秋刀魚の刺身、かじきまぐろのとろ身など、瀬戸内の我々には珍しい魚がたくさんあった。幸い妻はさかなをさばくのが苦にならないようで、よく食卓に並んだ。不幸なことに、その当時の私は肉食獣で、食卓に肉がないのは不満であった。ご存知のように、茨城は養豚王国。すき焼きも豚肉という土地柄であった。勿論30年以上昔の話である。銚子の肉屋に牛肉が入荷した知らせが、社宅にはいると、みんなで買出しに行った。当然社宅中すき焼きとなる。そんな土地柄である。漁業としょうゆの街である。
そのころ聞いたお話。本来「銚子」は地名を指す物では無く、利根川の河口を指すもので「銚子口」と呼ばれていた。「銚子」とは小さなつぎ口を持つ酒器の一種(徳利では無い。)で入り口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる地形に良く似ている為「銚子」という地名がついたとのことである。
明治の頃は、海難事故が多い場所で、 当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良子渡合が恐ろしや」などと諷されていたとのことである。鳴門のうずしおとならべられるのだから、大変だったらしい。
銚子はしょうゆの街である。ヒゲタ醤油が有名である。
関西の我々には、色が濃くてなじめなかったが、今となっては、私の舌も関東関西の区別が怪しくなっている。
今日のニュース。銚子市立病院が閉鎖とのことである。
地方財政の地盤沈下が銚子にもという感である。
一方、隣の波崎には鹿島労災病院があり、旭市には国保旭病院があるから、問題ないのではとも思ったりしている。本当に以前から存在感のない病院という印象である。
ひとつに市に、ひとつの市民病院という考えは、本当に必要なのかとつくづく思う。モータリゼーションが進んだ日本で、地域医療の骨組みは本当に再検討し、再構築すべきであるとつくづく思う。
かつて、自治医大が無医村に医師を派遣するために作られた教育機関であるが、今となったら、無医村は北海道の一部と離島のみとなっている。
今は地域的僻地の医療が空洞化しているのではなく、大都市に近接した地域医療が、大都市集中化に伴い、空洞化していると思っておる。だれも、便利な都市で暮らしたいとおもっている。お医者さんはなおさらである。子供の教育を考えるとどうしても、教育環境がいい、都市部になる。
テレビのニュースで、銚子市立病院が閉鎖になるとのこと。たったひとつのニュースで、思うことが多い。
最近こんなニュースが多すぎる。
問題が複雑すぎて、テレビのコメンテーターが何を言おうと、問題が一筋縄でいかない印象だけが残る。
思わずテレビのスィッチを切ってしまった。朝の静けさが戻った。
滋子さんに「いってきます」と挨拶をして、家をでた。明日から、テレビを見ないようにしようか。朝の静けさのほうが、得がたい。
そのころ聞いたお話。本来「銚子」は地名を指す物では無く、利根川の河口を指すもので「銚子口」と呼ばれていた。「銚子」とは小さなつぎ口を持つ酒器の一種(徳利では無い。)で入り口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる地形に良く似ている為「銚子」という地名がついたとのことである。
明治の頃は、海難事故が多い場所で、 当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良子渡合が恐ろしや」などと諷されていたとのことである。鳴門のうずしおとならべられるのだから、大変だったらしい。
銚子はしょうゆの街である。ヒゲタ醤油が有名である。
関西の我々には、色が濃くてなじめなかったが、今となっては、私の舌も関東関西の区別が怪しくなっている。
今日のニュース。銚子市立病院が閉鎖とのことである。
地方財政の地盤沈下が銚子にもという感である。
一方、隣の波崎には鹿島労災病院があり、旭市には国保旭病院があるから、問題ないのではとも思ったりしている。本当に以前から存在感のない病院という印象である。
ひとつに市に、ひとつの市民病院という考えは、本当に必要なのかとつくづく思う。モータリゼーションが進んだ日本で、地域医療の骨組みは本当に再検討し、再構築すべきであるとつくづく思う。
かつて、自治医大が無医村に医師を派遣するために作られた教育機関であるが、今となったら、無医村は北海道の一部と離島のみとなっている。
今は地域的僻地の医療が空洞化しているのではなく、大都市に近接した地域医療が、大都市集中化に伴い、空洞化していると思っておる。だれも、便利な都市で暮らしたいとおもっている。お医者さんはなおさらである。子供の教育を考えるとどうしても、教育環境がいい、都市部になる。
テレビのニュースで、銚子市立病院が閉鎖になるとのこと。たったひとつのニュースで、思うことが多い。
最近こんなニュースが多すぎる。
問題が複雑すぎて、テレビのコメンテーターが何を言おうと、問題が一筋縄でいかない印象だけが残る。
思わずテレビのスィッチを切ってしまった。朝の静けさが戻った。
滋子さんに「いってきます」と挨拶をして、家をでた。明日から、テレビを見ないようにしようか。朝の静けさのほうが、得がたい。