滋子さんが、茨城の会田記念病院を退院して、もう、一年がたちました。
会田記念には、1年いました。1年365日おそらく200日以上、面会にいったでしょうか。
茅場町から日比谷線で南千住、ツクバエクスプレスに乗り換え、守谷へ。そこから自転車で20分。5時30分に会社をでると、6時40分ごろ病院へ到着。30分か1時間ほど妻の体調に合わせて、一緒に過ごし、それから守谷、ツクバエクスプレス、武蔵野線と乗り換え、新浦安に着くと、9時ごろ。
そんな日々でした。
夏の頃、丁度今頃は、守谷から病院までは、陽がまだあり、夕方のむっとした暑さの中、汗いっぱいになりながら、病院への道を急ぎました。帰りは、真っ暗。俳句の季語に、道白しは冬の季語、道暗しは夏の季語。本当に夏の夜道特に田舎の道は本当に暗く、遠くの街灯のあかりを頼りに、おっかなびっくりで帰り道を急いだ覚えがあります。
冬は、道も吐く息も白く、遠くの明かりに照らされ、道が白く冷たく続いていたのを思い出します。
あれから、一年。その間4回入退院を繰り返し、救急車に3回お世話になりながら、新浦安介護亭を開いております。
亭主は、相変わらずで、なんとかめげずに、つつがなくですが、滋子さんは、本当に大変でした。
これから、2年目です。
どうなるのでしょうね。
会田記念には、1年いました。1年365日おそらく200日以上、面会にいったでしょうか。
茅場町から日比谷線で南千住、ツクバエクスプレスに乗り換え、守谷へ。そこから自転車で20分。5時30分に会社をでると、6時40分ごろ病院へ到着。30分か1時間ほど妻の体調に合わせて、一緒に過ごし、それから守谷、ツクバエクスプレス、武蔵野線と乗り換え、新浦安に着くと、9時ごろ。
そんな日々でした。
夏の頃、丁度今頃は、守谷から病院までは、陽がまだあり、夕方のむっとした暑さの中、汗いっぱいになりながら、病院への道を急ぎました。帰りは、真っ暗。俳句の季語に、道白しは冬の季語、道暗しは夏の季語。本当に夏の夜道特に田舎の道は本当に暗く、遠くの街灯のあかりを頼りに、おっかなびっくりで帰り道を急いだ覚えがあります。
冬は、道も吐く息も白く、遠くの明かりに照らされ、道が白く冷たく続いていたのを思い出します。
あれから、一年。その間4回入退院を繰り返し、救急車に3回お世話になりながら、新浦安介護亭を開いております。
亭主は、相変わらずで、なんとかめげずに、つつがなくですが、滋子さんは、本当に大変でした。
これから、2年目です。
どうなるのでしょうね。