私は、旅が好きである。若い頃からそうである。ひとり旅である。
滋子さんとはいっしょに行かないわけではない。
ただ少ないだけである。
妻もよく旅に出た。同様である。
ただし、お仲間とである。

インド,アメリカ、ネパール。けっこう足を伸ばしていた。
時折ふたりで出かけた。
ふたりで出かけても、昼間は別行動が多かった。
滋子さんは有意義を求め、私は無意味を求めた。
滋子さんは、名所、博物館に出かけ、私はただ、街中を歩き回り、街角から街角へ。
気が向くと、喫茶店に入り、本を読みながら、時を遊んでいた。
二人の間は有意義と無意味の間を振り子時計のように揺れ動いていたのだろうか。

しばしのひとり。夕刻、ホテルに戻り、食事に一緒に出かける。
言葉は少なく、滋子さんは食べつづけ、しゃべりつづける。私は、だまって、昼間の疲れをビールに浮かべ、飲んでいたっけ。
沈黙と喧騒、二人の間で振り子時計がゆれていたのでしょうか。

でもふたりは何時も一緒。一人になったときでも、いつも開いてを意識していたと思っている。
夜、、ホテルのベッド。隣で、いびきとともに、寝ている滋子さんを見ながら、ふと思う。
二人とひとり。きっと二人の振り子時計はふたりと一人の間で揺れ動いていたのだろう。

滋子さんの友人から、お便り。そのなかに、
「滋子さんは、決してわたくしのことは言わなかった。何故だろうと。」

これがその答えになれば、幸いである。
お便りありがとうございました。