あわただしく、転勤が決まった。
送別会も終わり、鹿島工場最後の日、本部棟から工場の門まで、工場のスタッフが見送りに出てくれた。工場の伝統である。
厳しい3年間であった。ともに乗り越えた仲間であった。戦線を離脱する後ろめたさも少ししたが、正直、閉塞感のある鹿島から、花のお江戸に出て行く期待感と緊張感が大きかった。
まずは、大阪勤務。単身赴任となった。妻はとりあえず、岡山に幹子と戻った。1ヶ月間本社で実習を済ませ、東京に赴任した。その後市川の寮暮らしが1ヶ月続いた。合計3ヶ月妻と別々の生活をした。思えば、いちばん長い別居生活であった。
東京で住居を探し始めた。
会社は日本橋高島屋の隣である。正に東京のど真ん中。大阪本社は梅田。田舎の会社は、会社の所在地を駅前にしたいようである。各地の工場から出張してくるとき、迷子にならないから。ほんとうかどうか知らない。
さて、東京での住居さがし。とりあえず中央線にのり、東京駅から約30分の駅に降りた。阿佐ヶ谷だったと思う。駅前の不動産会社をウインドショッピングした。
荻窪、西荻窪、吉祥時。駅前のごみごみした風景が、いなかが長かった私には、どうもしっくりしなかった。そのうえ、今まで3LDKにすんでいた私には、東京のせせこましい住宅に住む気になれなく、中央線沿線は断念した。当時市川の寮は国府台にあり、京成線沿線であった。国府台から京成にのり、江戸川を越え、ここから東京かと思って、衝動的に京成小岩駅に下りた。そのまま何気なく、総武線小岩駅方向に歩いていき、京葉道路に出た。
交差点を渡ったところに、不動産屋がなぜかあり、ふと物件を見た。
江戸川区鹿骨1丁目xxx 新築アパート2DK 犬猫可。
犬猫を飼ってよいのであれば、あまり口やかましくないだろう。こちらは犬や猫を買う気はないが、田舎ぐらしになれた幹子を抱えている。隣近所に気兼ねしなくて良いのはいいと思い、不動産屋の戸をあけた。
新小岩駅から、バスに乗って、20分農業試験場前で降りる。
バス停のそばに新築のアパートがあり、大家さんはその裏手農家。
初めて出会ったとき、お祖母さんと50前後の中年夫婦、息子さんが銀行勤め。そんな家族構成だったと思う。石井さん。以後、家族ぐるみの付き合いをさせていただき、今に至っている。最近では、息子は我が家に帰るより、石井家に行くほうが多いようで、まったく先方には迷惑極まりない話である。もっとも、歓待されているようで、安堵している。
住居は新築で、私が第一号とのことであり、それなら、アパートの古株だから、あまり気を使う必要がないと思い込み、即決した。
岡山の滋子に伝え、次の週鹿島に戻った。
鹿島の引越しを友人に手伝ってもらい、3年お世話になった部屋を片付け、夜明け前に車で出発した。
東京では車は必要ないし、田舎で運転していても都内は無理だと思い、車を岡山に預けることにした。
鹿島を出て、30分ぐらい走ったところで、徐々に夜が明けてきた。白々とした景色の中に鹿島が浮かび上がった。3年前、新婚の二人が飛び込んでいった世界である。とりわけ滋子さんは感慨深かったと思う。
鹿島にお別れを告げながら、車は高速道路を東京に向かって走らせた。
まだ、26歳である。
若すぎた。