みきこが生まれたとき、女の子の名前をどうするか考えていた。
樹の幹のように、細かいことにとらわれずに、大きく伸びてほしいと幹子と名づけた。身幹子は岡山で生まれた。実家で出産前を過ごし、日赤で生んだ。
2週間ほど送れたので、はちきれそうであった。
そろそろ生まれるだろうと、あらかじめ岡山へ帰省したが、幹子は世の中にでてきたくなったのかどうかわからないが、2週間遅れた。
夜実家にいて、妻のそばで寝ていると、そろそろ生まれそうと悲鳴のような声をだすので、あわてて、日赤へ。結局生まれたのが、次の日の夜中であった。
入院した日は病棟で過ごしていた。昨日、悲鳴を上げていたのが嘘のようであった。さすがに夜半になると陣痛の間隔が狭くなり、分娩室へ出陣。がんばれ。
やがて、夜半、分娩室の前に亡くなった義母と一緒に座っていると、かすかに、空耳のように赤ちゃんの声を聞いた。聞いたような気がした。
お母さん聞こえました。とたずねると、いやと答えた。
やがて、分娩室のドアが開き、看護婦さんが、元気な赤ちゃんですよと答えてくれた。
しばらくして、妻とわが子が出てきた。妻の意識はしっかりしていて、
一声が
やっぱり幹子。
どうも妻はこの名前が気に入らなかったようである。
滋子よりいいんじゃないと思ったけど、義母がいるから遠慮した。
年をとるとおしげさんというのは語呂が良くて、好きである。妻はどう思ったのだろう。
いずれにしろ、娘の名前をつけるのは難しい。
昔の思い出の女性の名前?
などとかんぐられても仕方ない。
女の子の名前は同じような名前が多いいのだから仕方がない。
でもわが子が生まれた。
幹子
翌年から、年賀状を書き始めた。最初の年賀状は、幹子の足型で、鹿島からの初日のです。と書いた。
何故足型か。
幹子が寝ているときに朱肉を塗って、手形を押そうとしたら、しっかり手のひらを閉じ、どうにもならない。仕方なく、足型である。
爾来、年賀状は続いている。妻が倒れた2年間はどうしても、書く気になれなく、中断したが、それ以外はずーと続けている。
鹿島からの初日の出は、いまや3人の子供をつれて奮闘している。
樹の幹のように、細かいことにとらわれずに、大きく伸びてほしいと幹子と名づけた。身幹子は岡山で生まれた。実家で出産前を過ごし、日赤で生んだ。
2週間ほど送れたので、はちきれそうであった。
そろそろ生まれるだろうと、あらかじめ岡山へ帰省したが、幹子は世の中にでてきたくなったのかどうかわからないが、2週間遅れた。
夜実家にいて、妻のそばで寝ていると、そろそろ生まれそうと悲鳴のような声をだすので、あわてて、日赤へ。結局生まれたのが、次の日の夜中であった。
入院した日は病棟で過ごしていた。昨日、悲鳴を上げていたのが嘘のようであった。さすがに夜半になると陣痛の間隔が狭くなり、分娩室へ出陣。がんばれ。
やがて、夜半、分娩室の前に亡くなった義母と一緒に座っていると、かすかに、空耳のように赤ちゃんの声を聞いた。聞いたような気がした。
お母さん聞こえました。とたずねると、いやと答えた。
やがて、分娩室のドアが開き、看護婦さんが、元気な赤ちゃんですよと答えてくれた。
しばらくして、妻とわが子が出てきた。妻の意識はしっかりしていて、
一声が
やっぱり幹子。
どうも妻はこの名前が気に入らなかったようである。
滋子よりいいんじゃないと思ったけど、義母がいるから遠慮した。
年をとるとおしげさんというのは語呂が良くて、好きである。妻はどう思ったのだろう。
いずれにしろ、娘の名前をつけるのは難しい。
昔の思い出の女性の名前?
などとかんぐられても仕方ない。
女の子の名前は同じような名前が多いいのだから仕方がない。
でもわが子が生まれた。
幹子
翌年から、年賀状を書き始めた。最初の年賀状は、幹子の足型で、鹿島からの初日のです。と書いた。
何故足型か。
幹子が寝ているときに朱肉を塗って、手形を押そうとしたら、しっかり手のひらを閉じ、どうにもならない。仕方なく、足型である。
爾来、年賀状は続いている。妻が倒れた2年間はどうしても、書く気になれなく、中断したが、それ以外はずーと続けている。
鹿島からの初日の出は、いまや3人の子供をつれて奮闘している。