鹿島の生活は、約4年間。
一言で言えば、恥ずかしい4年間でした。仕事も中途半端で、一人前になる前に鹿島を離れましたので、一入です。
新婚生活はどうだったのでしょうか。
当時私は多忙を極めており、月の残業時間は殺人的でした。体力だけが自慢でした。
工場は朝8時。もっとも連続操業ですので、工場は休みなしでした。新婚旅行から帰った翌日から出勤。当日は新婚だからといって、8時に帰宅。翌日は10時。次の日からは、11時過ぎが続きました。帰宅して、風呂、食事。そして就寝。まったく自分の時間はありませんでした。そして突然の夜中の呼び出し。工場のシステムに異常がありましたら、工場長以下全員出社。そして徹夜。次の日も同じ勤務という状態でした。通勤は当時私は運転免許を持っていませんでしたので、妻が工場の前で待ってくれ、送り迎えをしてくれました。そのころは携帯電話などはありませんでしたので、妻はじっと待つだけでした。当初は家にも電話がついていませんでしたので、まったく連絡が出来ない状態でした。
当時車のカーラジオでよく聞いたのが、「神田川」。
あの歌を聴くと、あの頃の綱渡り的な生活を思い出します。
懐かしさより、もっと滋子さんに優しくしてあげておけば、と後悔をします。きれいごとで言っているのではなく、本当に大変でした。そのころは自分が大変でしたので、妻のことまで思いやることができなかったというのが本当の姿でしょう。
若かった。ただそれだけだったのでしょうか。
当時喧嘩も多かったと思います。鹿島に来て、最初の喧嘩。妻は怒って、家を飛び出しました。
当時の社宅は、鹿島セントラルホテルの近くにあり、比較的住宅が密集していましたが、建設工事が盛んに行われており、物騒な連中がたくさん鹿島に入りこんでいました。喧嘩して、妻が飛び出し、30分たつと、そのことを思い出し、不安になり、あわてて外に飛び出しました。階段のところにでもいるのかと思いましたが、いません。社宅の周辺を探しましたがいません。12月。結構寒いので、まさか戸外を歩いているわけではないと思いつつ、1時間ほど捜し歩きました。そのころは、喧嘩をした後悔ひとしお。
本当に涙が出てきました。疲れきって社宅に戻ってきて、ふと自分の車をみると、車内に人がいる雰囲気。駆け寄ると涙がすっかり乾いた妻が座っていました。
おもわずほっとしてごめん、ごめんと謝っていました。爾来謝り続けております。
妻を謝りながら、我が家へ連れて帰ったとき、薄暗い街中を妻をさがして歩き回ったせいか、妙に明るかったのを思い出します。
ふたりで約束をしました。喧嘩しても、決してドアから外へは出ない。以来このルールは守っています。
もっとも、最後の頃は妻にとって車が居心地がよいのでしょうか、昔をおもいだしたのでしょうか。車の中まで距離は伸びました。
いずれにしろ、恥ずかしい鹿島時代でした。
一言で言えば、恥ずかしい4年間でした。仕事も中途半端で、一人前になる前に鹿島を離れましたので、一入です。
新婚生活はどうだったのでしょうか。
当時私は多忙を極めており、月の残業時間は殺人的でした。体力だけが自慢でした。
工場は朝8時。もっとも連続操業ですので、工場は休みなしでした。新婚旅行から帰った翌日から出勤。当日は新婚だからといって、8時に帰宅。翌日は10時。次の日からは、11時過ぎが続きました。帰宅して、風呂、食事。そして就寝。まったく自分の時間はありませんでした。そして突然の夜中の呼び出し。工場のシステムに異常がありましたら、工場長以下全員出社。そして徹夜。次の日も同じ勤務という状態でした。通勤は当時私は運転免許を持っていませんでしたので、妻が工場の前で待ってくれ、送り迎えをしてくれました。そのころは携帯電話などはありませんでしたので、妻はじっと待つだけでした。当初は家にも電話がついていませんでしたので、まったく連絡が出来ない状態でした。
当時車のカーラジオでよく聞いたのが、「神田川」。
あの歌を聴くと、あの頃の綱渡り的な生活を思い出します。
懐かしさより、もっと滋子さんに優しくしてあげておけば、と後悔をします。きれいごとで言っているのではなく、本当に大変でした。そのころは自分が大変でしたので、妻のことまで思いやることができなかったというのが本当の姿でしょう。
若かった。ただそれだけだったのでしょうか。
当時喧嘩も多かったと思います。鹿島に来て、最初の喧嘩。妻は怒って、家を飛び出しました。
当時の社宅は、鹿島セントラルホテルの近くにあり、比較的住宅が密集していましたが、建設工事が盛んに行われており、物騒な連中がたくさん鹿島に入りこんでいました。喧嘩して、妻が飛び出し、30分たつと、そのことを思い出し、不安になり、あわてて外に飛び出しました。階段のところにでもいるのかと思いましたが、いません。社宅の周辺を探しましたがいません。12月。結構寒いので、まさか戸外を歩いているわけではないと思いつつ、1時間ほど捜し歩きました。そのころは、喧嘩をした後悔ひとしお。
本当に涙が出てきました。疲れきって社宅に戻ってきて、ふと自分の車をみると、車内に人がいる雰囲気。駆け寄ると涙がすっかり乾いた妻が座っていました。
おもわずほっとしてごめん、ごめんと謝っていました。爾来謝り続けております。
妻を謝りながら、我が家へ連れて帰ったとき、薄暗い街中を妻をさがして歩き回ったせいか、妙に明るかったのを思い出します。
ふたりで約束をしました。喧嘩しても、決してドアから外へは出ない。以来このルールは守っています。
もっとも、最後の頃は妻にとって車が居心地がよいのでしょうか、昔をおもいだしたのでしょうか。車の中まで距離は伸びました。
いずれにしろ、恥ずかしい鹿島時代でした。