昔話を書いていて、ふと思い出したことがある。僕が大学を卒業するとき、父が引越しの手伝いに名古屋に来てくれた。
大学4年間で初めてのことであった。
父は家庭の事情で大学に行きたくて行けなかったので、私の入学を本当に喜んでくれていたようである。
男同士の親子はあまり話をしない。そんなものである。
父は、春まだ浅き日の午後、名古屋に着いた。下宿に案内し、大家さんと初めての挨拶。
当時私は、昭和区の妙見通りと川名通りの交差点付近に住んでいた。
大家さんは、自転車屋さんを営みながら、裏の2階屋を学生に貸していた。2階に住んでいた。下宿は6畳一間。一般的な下宿風景であった。ただ、日当たりが良いのが気に入っていた。
その日、夕方大学近くに夕食を食べに二人で出かけた。バスで15分程度の距離であった。一度は大学を見せなければと思っていた。
当時の大学は70年安保が終わり、三島由紀夫が自害し(割腹自殺)、なんとなく虚無的な風が吹いていたと思う。こちらはこちらで、就職が決まり、さっさとおさらばという気持ちであった。夜の大学構内を案内し、自分の研究室に連れて行った。当時は卒論でコンピュータ-によるシュミレーションを行ってたので、研究室は24時間であった。
先輩に紹介し、室内を案内した。
夕食は、すこしがんばって、居酒屋。といっても今の居酒屋というより、割烹料理のお店という雰囲気の店である。
親父と食事をしながら、お酒を飲もうかというと、そうだなとうなずいた。父はあまり酒が飲めない。それでも、猪口にお酒を注ぎ、今までありがとうといったら、親父はうれしそうに一口飲んだ。
「こういう店にはきたことがない」と一言。
思わず、ぐぅ。
父は真面目なひとであり、僕たちの生活のために働きどうしだった。学校の先生の給料は当時高くなかった。それでも、大学まで何も言わずに当然のごとく、面倒を見てくれた。
私も当然のごとく受け入れた。
4年間、友人と酒を交わしながら、楽しく過ごしてきた思い出と、その間生活のために働いていた父。妙にありがたさと、暖かさと苦い後悔の酒であった。2合の酒であった。
卒業して、会社に入るというこれからの自分を思ったとき、結婚して家庭をもって、奥さんのために働こうと唐突に思った。そして、中学時代のクラスメートであった滋子さんに猛烈にアタックした。
滋子と自分のことを書く前にきっとこのエピソードが不可欠だったのかもしれない。
大学4年間で初めてのことであった。
父は家庭の事情で大学に行きたくて行けなかったので、私の入学を本当に喜んでくれていたようである。
男同士の親子はあまり話をしない。そんなものである。
父は、春まだ浅き日の午後、名古屋に着いた。下宿に案内し、大家さんと初めての挨拶。
当時私は、昭和区の妙見通りと川名通りの交差点付近に住んでいた。
大家さんは、自転車屋さんを営みながら、裏の2階屋を学生に貸していた。2階に住んでいた。下宿は6畳一間。一般的な下宿風景であった。ただ、日当たりが良いのが気に入っていた。
その日、夕方大学近くに夕食を食べに二人で出かけた。バスで15分程度の距離であった。一度は大学を見せなければと思っていた。
当時の大学は70年安保が終わり、三島由紀夫が自害し(割腹自殺)、なんとなく虚無的な風が吹いていたと思う。こちらはこちらで、就職が決まり、さっさとおさらばという気持ちであった。夜の大学構内を案内し、自分の研究室に連れて行った。当時は卒論でコンピュータ-によるシュミレーションを行ってたので、研究室は24時間であった。
先輩に紹介し、室内を案内した。
夕食は、すこしがんばって、居酒屋。といっても今の居酒屋というより、割烹料理のお店という雰囲気の店である。
親父と食事をしながら、お酒を飲もうかというと、そうだなとうなずいた。父はあまり酒が飲めない。それでも、猪口にお酒を注ぎ、今までありがとうといったら、親父はうれしそうに一口飲んだ。
「こういう店にはきたことがない」と一言。
思わず、ぐぅ。
父は真面目なひとであり、僕たちの生活のために働きどうしだった。学校の先生の給料は当時高くなかった。それでも、大学まで何も言わずに当然のごとく、面倒を見てくれた。
私も当然のごとく受け入れた。
4年間、友人と酒を交わしながら、楽しく過ごしてきた思い出と、その間生活のために働いていた父。妙にありがたさと、暖かさと苦い後悔の酒であった。2合の酒であった。
卒業して、会社に入るというこれからの自分を思ったとき、結婚して家庭をもって、奥さんのために働こうと唐突に思った。そして、中学時代のクラスメートであった滋子さんに猛烈にアタックした。
滋子と自分のことを書く前にきっとこのエピソードが不可欠だったのかもしれない。