結婚前は、遠距離交際。それが、約6ヶ月続いた。当初10月ごろ結婚式と考えていたけれど、滋子さんは11月と主張した。元来どうでもいいので、滋子さんに任せた。理由は後から聞いた。妻の誕生日は8月14日。私は10月26日。10月結婚すると、新郎22歳。新婦23歳。どうしてもいやだったとのことである。
結婚式のこまごましたことにこだわるのは、いやだけれど、こうしたことにこだわるのは、納得するしないは別として、可愛いものである。
以来滋子さんはこうしたこだわりを時折見せてくれた。面白いこだわりである。
その間、ほとんど滋子さんが岡山から鹿島に尋ねてきた。私は寮生活なので、近くのホテルに宿泊させた。そのホテルは、後から聞いたのだけれど、私が現在勤めている会社が設計したとのことである。すでに立て替えられ、以前の面影はない。時の長さを感じる。
当時、鹿島へは、岡山から新幹線で東京駅。それから山手線で秋葉原。そして総武線で両国。鹿島線は両国始発であった。
船橋、千葉、佐倉、佐原そして、鹿島と銚子に列車は別れる。本当に長い旅であった。鹿島へ私が赴任した最初の日、同じ行程でした。佐原から銚子の途中にある小見川の駅の辺りだと思いましたが、突然汽車が止まった。緊急停止である。何かと見ると牛が線路をまたいで、クレームをつけていた。本当に遠くにきたもんだ。あきれるより心細さが募ってきたものです。
同じ行程を会いに来る滋子さんもきっと同じだったのだと思います。
はしだのりひことシューベルツというフォークソングのバンドが
花嫁は夜汽車に乗って嫁いでいく~の
という歌がありましたが、まさにそれそのものでした。
今でも本当によくついてきてくれたと思っています。
それから、約3年半鹿島が我々の新婚の地となり、思いで深い場所となっております。
そのうち、鹿島暮らしのてんやわんやをお話します。
まだ、結婚前。
滋子さんにとって、幸せな時間でしたのでしょう。