それから、とんとん拍子に進み、6月21日が結納となった。もっとも私は、茨城の鹿島に勤務していたので、完全にかやの外であった。滋子さんが間に入っていろいろあったと思う。
私は私で、新しい勤務地で実習に明け暮れていた。当時の鹿島はコンビナート立ち上げ時期で、凄まじい変貌を繰り返していた。寮から工場までの道も、行きと帰りでは路線が異なるなど日常茶飯事であった。最悪なのは、突然、路がなくなり、夜中に帰り道を探しまわった事もあった。そういう時代であった。
本当に会いたかった。滋子さんに。
1週間に3回電話をかけ、毎日手紙を書いた。茨城の鹿島は、過疎地であり、手紙などは岡山まで3日かかり、速達は配達区域外であった。
滋子さんも毎日書いていたようで、3日ごとに3通届いた。
手紙に書かれた文字と電話の声が、全てであった。数日休みがとれ、岡山に帰省した。
当時滋子さんの親戚は岡山の東に位置する備前市に住んでいて、帰省の折挨拶に行った。岡山からバスで1時間30分程度であった。親戚の家を数件挨拶に行き、夕食をご馳走になり、あわてて乗り込んだバスは最終であった。
帰路の1時間30分。不幸なことに、私がトイレに行きたくなった。みっともない話だが、つい油断して、乗り込む前にトイレに行かなかった。
とうとう我慢できなくなり、旭川沿いのバス停でおり、ドライブインでトイレを借りた。
ほっとして、トイレから出たあと、大問題が発生した。
タクシーを呼べない。帰る手段がなくなってしまった。
しかたなく、2号線に出て、あの当時はやっていたヒッチハイクを試みた。夏の夜、羽虫がうるさい。旭川にそって2号線が走っている。ドライブインがなければ灯りひとつない。車のライトが見えてきたので、勇気を搾り出して、手を挙げた。
果たして、車が止まった。車に走りより、事情を説明したら、快く載せてくれた。
車の後ろ座席に乗る。前に男が二人。人相、風体がすこぶる怪しい。岡山はやくざの多い土地柄で、なんとなく、それらしいことが分かった。しまったと思ったが、どうしようもない。滋子さんのそばのドアの取手に手を置き、いざとなったら、ドアを開けて、降ろそうと思った。多少怪我をしても、仕方ない。僕は土産にもらった蛤のふくろを握り締め、いざとなったらこれを武器に、闘おうと思った。運転していた男が「にいちゃん、結婚するの。そりゃおめでとう。仲良くな」こちらは緊張して「はい、はい」。
「今いくつ、22。へぇ 若いな。」「大変だけれど、がんばりな。」さらに緊張して「はい、はい」。
岡山駅まで、30分程度。何度はい、はいと答えたのだろう。覚えていない。
ただ、旭川にかかる橋をわたり、街の灯りが見えてきて、ほっと したのを思い出す。
やがて、車は岡山駅に着き、我々は無事に車から降りた。
無事に。
窓越しにありがとうございましたと礼をいうと、やくざやさんが、「にいちゃん、きんちょうしていたな。必死に彼女を守ろうとしてさ。その気持ち忘れるなよ」と笑いながら、車を始動させて、去っていった。後に残った私は、「はい、はい」と答えていた。
あれから、30年以上たつ。今でも、「はい、はい」である。
私は私で、新しい勤務地で実習に明け暮れていた。当時の鹿島はコンビナート立ち上げ時期で、凄まじい変貌を繰り返していた。寮から工場までの道も、行きと帰りでは路線が異なるなど日常茶飯事であった。最悪なのは、突然、路がなくなり、夜中に帰り道を探しまわった事もあった。そういう時代であった。
本当に会いたかった。滋子さんに。
1週間に3回電話をかけ、毎日手紙を書いた。茨城の鹿島は、過疎地であり、手紙などは岡山まで3日かかり、速達は配達区域外であった。
滋子さんも毎日書いていたようで、3日ごとに3通届いた。
手紙に書かれた文字と電話の声が、全てであった。数日休みがとれ、岡山に帰省した。
当時滋子さんの親戚は岡山の東に位置する備前市に住んでいて、帰省の折挨拶に行った。岡山からバスで1時間30分程度であった。親戚の家を数件挨拶に行き、夕食をご馳走になり、あわてて乗り込んだバスは最終であった。
帰路の1時間30分。不幸なことに、私がトイレに行きたくなった。みっともない話だが、つい油断して、乗り込む前にトイレに行かなかった。
とうとう我慢できなくなり、旭川沿いのバス停でおり、ドライブインでトイレを借りた。
ほっとして、トイレから出たあと、大問題が発生した。
タクシーを呼べない。帰る手段がなくなってしまった。
しかたなく、2号線に出て、あの当時はやっていたヒッチハイクを試みた。夏の夜、羽虫がうるさい。旭川にそって2号線が走っている。ドライブインがなければ灯りひとつない。車のライトが見えてきたので、勇気を搾り出して、手を挙げた。
果たして、車が止まった。車に走りより、事情を説明したら、快く載せてくれた。
車の後ろ座席に乗る。前に男が二人。人相、風体がすこぶる怪しい。岡山はやくざの多い土地柄で、なんとなく、それらしいことが分かった。しまったと思ったが、どうしようもない。滋子さんのそばのドアの取手に手を置き、いざとなったら、ドアを開けて、降ろそうと思った。多少怪我をしても、仕方ない。僕は土産にもらった蛤のふくろを握り締め、いざとなったらこれを武器に、闘おうと思った。運転していた男が「にいちゃん、結婚するの。そりゃおめでとう。仲良くな」こちらは緊張して「はい、はい」。
「今いくつ、22。へぇ 若いな。」「大変だけれど、がんばりな。」さらに緊張して「はい、はい」。
岡山駅まで、30分程度。何度はい、はいと答えたのだろう。覚えていない。
ただ、旭川にかかる橋をわたり、街の灯りが見えてきて、ほっと したのを思い出す。
やがて、車は岡山駅に着き、我々は無事に車から降りた。
無事に。
窓越しにありがとうございましたと礼をいうと、やくざやさんが、「にいちゃん、きんちょうしていたな。必死に彼女を守ろうとしてさ。その気持ち忘れるなよ」と笑いながら、車を始動させて、去っていった。後に残った私は、「はい、はい」と答えていた。
あれから、30年以上たつ。今でも、「はい、はい」である。