その夜、高松の駅前の旅館に宿をとった。
当時、私は繊維会社クラレに入社し、愛媛県西条の工場実習中であった。当時滋子さんは、岡山市内の医薬品販売店に勤めていた。彼女は友人とその彼と3名で、高松経由で博多へ遊びに行くことになっていた。
1週間前、岡山で滋子さんと会った折、なんとなく気まずい別れかたをした。このことが気になり、どうしても会いたいと思っていた。どうも私は結婚したいと思っていたが、彼女はそこまで決心していなく、若さゆえの空回りのようであった。
もっとも後で気がつくこと。
そのことが、ふたりの久しぶりのデートを気まずいものにしていたようだ。
当時宇高連絡船が宇野から高松、そして別府へ運航しており、高松で乗り換えに数10分時間があるとのことであった。
愛媛西条から高松まで、予讃線で2時間ほどかかったと思う。午後6時30分頃、高松から博多行きに乗り換えるとのことで、5時過ぎに高松港に到着し、駅前の有名な讃岐うどんのお店で腹ごしらえをして、待っていた。
当時の高松港は、照明があまりなく、丁度、黄昏時になると薄暗くなり、ひとの顔が見えなくなる。
そのせいかあるいは乗り換えの人ごみのなかで、見失ったのか、会えなかった。
船が出た港に残り、とりあえず、何かできないかと、案内所に問い合わせた。船の場合、海難事故の問題の関係と思うが、乗船名簿があった。今のように個人情報などとうるさいことは言われていない時代でもあり、閲覧させてくれた。
乗船名簿から、彼女の名前を探したが、ない。滋子は珍しい名前なので、見つからないはずはないと思ったが、何度見直しても、見つからなかった。
今のように携帯電話などない時代、他の彼女に連絡する術はなかった。
途方にくれ、時間も時間なので、とりあえず駅前の旅館に泊まった。
布団の中で、どうしたのか、心配になりながら、ふと、船に電話できないのかなと思った。
旅館のひとに聞くと、簡単に船会社の案内の電話番号を教えてくれた。
船便を伝えると、すぐにつないでくれた。後で聞くと、船との連絡は市内電話と同じ料金とのことであった。つまり10円でかかるのである。
船の案内に滋子さんの名前を伝え、呼び出してもらった。
5分ぐらいだったか、長く感じる時間であった。案内のほうから、「いらっしゃいますよ。すぐに、おでになりますよ」との答え、思わず拍子抜けした。
まもなく、彼女が電話に出た。後で聞くと、乗船名簿は友人の彼氏が書いたとのことで、いいかげんに書いたようである。
人間もいいかげんだったようで、まもなく、友人とすったもんだがあり、別れた。
私たちは結婚した。
彼女も高松駅で私を探してくれたようだけれど、乗船時間が短かったため、あわてて乗ったとのことである。
滋子さんは、滋子さんでいつも約束どおり来る私が、いなくて、寂しくて、布団をかぶって寝ていたという。
その後、何を話したかは覚えていない。
彼女が岡山に帰ってくる時間を確認し、電話を切った。ほっとした。1週間前の気まずさが霧散した。結婚しようと思った。
3日後、私も岡山に戻っていた。丁度その日午後遅く、彼女も福岡から帰ってきた。
新幹線から降りてきた彼女はまぶしかった。
駅から、市役所を経て、彼女の家まで30分程度の道のりを二人で歩いた。
当時市役所の横に公園があった。
その公園で、結婚しようといい、彼女がうなずいた。
当時、私は繊維会社クラレに入社し、愛媛県西条の工場実習中であった。当時滋子さんは、岡山市内の医薬品販売店に勤めていた。彼女は友人とその彼と3名で、高松経由で博多へ遊びに行くことになっていた。
1週間前、岡山で滋子さんと会った折、なんとなく気まずい別れかたをした。このことが気になり、どうしても会いたいと思っていた。どうも私は結婚したいと思っていたが、彼女はそこまで決心していなく、若さゆえの空回りのようであった。
もっとも後で気がつくこと。
そのことが、ふたりの久しぶりのデートを気まずいものにしていたようだ。
当時宇高連絡船が宇野から高松、そして別府へ運航しており、高松で乗り換えに数10分時間があるとのことであった。
愛媛西条から高松まで、予讃線で2時間ほどかかったと思う。午後6時30分頃、高松から博多行きに乗り換えるとのことで、5時過ぎに高松港に到着し、駅前の有名な讃岐うどんのお店で腹ごしらえをして、待っていた。
当時の高松港は、照明があまりなく、丁度、黄昏時になると薄暗くなり、ひとの顔が見えなくなる。
そのせいかあるいは乗り換えの人ごみのなかで、見失ったのか、会えなかった。
船が出た港に残り、とりあえず、何かできないかと、案内所に問い合わせた。船の場合、海難事故の問題の関係と思うが、乗船名簿があった。今のように個人情報などとうるさいことは言われていない時代でもあり、閲覧させてくれた。
乗船名簿から、彼女の名前を探したが、ない。滋子は珍しい名前なので、見つからないはずはないと思ったが、何度見直しても、見つからなかった。
今のように携帯電話などない時代、他の彼女に連絡する術はなかった。
途方にくれ、時間も時間なので、とりあえず駅前の旅館に泊まった。
布団の中で、どうしたのか、心配になりながら、ふと、船に電話できないのかなと思った。
旅館のひとに聞くと、簡単に船会社の案内の電話番号を教えてくれた。
船便を伝えると、すぐにつないでくれた。後で聞くと、船との連絡は市内電話と同じ料金とのことであった。つまり10円でかかるのである。
船の案内に滋子さんの名前を伝え、呼び出してもらった。
5分ぐらいだったか、長く感じる時間であった。案内のほうから、「いらっしゃいますよ。すぐに、おでになりますよ」との答え、思わず拍子抜けした。
まもなく、彼女が電話に出た。後で聞くと、乗船名簿は友人の彼氏が書いたとのことで、いいかげんに書いたようである。
人間もいいかげんだったようで、まもなく、友人とすったもんだがあり、別れた。
私たちは結婚した。
彼女も高松駅で私を探してくれたようだけれど、乗船時間が短かったため、あわてて乗ったとのことである。
滋子さんは、滋子さんでいつも約束どおり来る私が、いなくて、寂しくて、布団をかぶって寝ていたという。
その後、何を話したかは覚えていない。
彼女が岡山に帰ってくる時間を確認し、電話を切った。ほっとした。1週間前の気まずさが霧散した。結婚しようと思った。
3日後、私も岡山に戻っていた。丁度その日午後遅く、彼女も福岡から帰ってきた。
新幹線から降りてきた彼女はまぶしかった。
駅から、市役所を経て、彼女の家まで30分程度の道のりを二人で歩いた。
当時市役所の横に公園があった。
その公園で、結婚しようといい、彼女がうなずいた。