ふと気がつくと、来週は4月である。新年度である。
世の中、年度末時間切れで「てんやわんや」である。「てんやわんや」ということばはもう死語になっているかもしれないが、「てんでん」と「わんや」の造語とのことで、「てんでん」はてんでになど、別々にとかばらばらにと言う意味で、「わんや」はわれもわれもと言う意味で、いずれにしろ関西のことばのようである。
しかし、今の状況を言い表すことばとして、正鵠を射いている。
4月1日はエイプリルフールだから、新年度に併せて、大法螺を吹いてみたらと思うのだけれど、時宜にあった大法螺が思いつきそうもない。
所詮、凡なるアイデア。
いずれにしろ、東京の霞ヶ関村は年度末、てんやわんやの吉本新喜劇。
おもしろいのは、自民党の中でも、舞台にたって、ギャグをとばしているひとと、それを面白がっている人がいるのは面白い。
最近のことばで言えば、当事者感覚がないといえるのかもしれない。
この1年議員会館での仕事が増え、よしなしごとを見聞きするにつれて、こちらは兼好法師になった気持ちで、徒然草としゃれている。
こちらはもっと当事者感覚はない。